“製品”を通してシワに挑戦する一方で、ポーラではシワを様々な角度から研究しています。この章では、驚きのシワに関するトリビアをご紹介!
「色々な文献をひもといてみると、日本よりヨーロッパのほうが、シワに対する意識が進んでいたようです」と語るのは、「ポーラ文化研究所」で学芸員を務める富澤洋子さん。
(ポーラ文化研究所 学芸員・富澤洋子さん)
「紀元前1000年頃には、すでに古代エジプトでシワ取り化粧品が存在していました」と、富澤さん。な、なんと、紀元前からシワ化粧品があるなんて…!
「『メークアップの歴史』(R.コーソン著)によると、香料やロウ、オリーブ油、カヤツリグサを牛乳に混ぜたものを6日間肌に塗るという方法でした」(富澤さん)
18世紀になると、シワ取りのテクニックを記した書物が登場します。
「フランスで刊行された美容書『アブデガー』に、ペルシャ人から聞いたシワ取りの秘術として、“没薬とワインの蒸気を肌にあてる”方法が紹介されています」(富澤さん)
(『アブデガー』ア・ル・カミュ著 1754年、1756年 全4巻。ポーラ文化研究所所蔵)
『アブデガー』は、化粧水や頬紅などの作り方や、古来から伝わる美容法をまとめた、今でいう“ハウツー&レシピ本”です。当時の貴婦人たちは、コレを参考に、せっせとシワ対策にはげんだのかもしれませんね。
日本では、江戸時代に刊行された、『都風俗化粧伝(みやこふうぞくけわいでん)』にシワ対策に関する記述が登場します。
(『都風俗化粧伝』1813年。ポーラ文化研究所所蔵)
「猪蹄(ちょてい=イノシシの爪・現在のブタの爪にあたる)を煮詰め、トロトロになったものを肌に塗る方法が紹介されています。これは恐らくコラーゲンではないかと…。半月後には“若やかなること少女のごとし”とあります」富澤さん
江戸時代にシワ対策としてコラーゲンに注目していたとは驚きですが、世界的に見ると、日本はまだまだ、シワ後進国だったみたい。その理由は次のトリビア3で!
「都風俗化粧伝には、美白に関する記述は沢山出てくるものの、シワに関する記述はあまりありません」と、富澤さん。平安時代から“色白肌”は女性の憧れだったのに、シワに関しては“ほぼスルー”なんだとか。
「源氏物語には色々な美人が登場しますが、年配の女性を表現する時も“顔が黒ずんで”とか“髪がパサパサして”と記され、シワに関する表記は見られないんです。平安時代の医学書『医心房』の美容編にもシワに関する記述はなかったようです」(富澤さん)
その理由は?と聞いてみると、「あくまで私見ですが」と断ったうえで「高貴な女性は歯を見せて笑わず、表情を見せることがよしとされない文化がありました。このような文化的背景が“表情ジワ”への意識に関係しているのかもしれません」と、富澤さん。
富澤さんの説に「ナルホド」と頷きたくなるエピソードが、雑誌「婦人世界」の臨時増刊『化粧かがみ』に登場します。時代はグンと下って、明治40年。
(『化粧かがみ』婦人世界臨時増刊 1907年。ポーラ文化研究所所蔵)
「“皺の寄らぬやうにする法”という項目に、冷たい風にあたったり、熱いお湯で洗顔を避けるように記されています。このあたりは今の美容法と同じですね」(富澤さん)。一方シワの原因はというと、「顔の筋肉を多く働かせた結果であります」とのこと。
そんなシワの解決法は下記の通り。
「それゆえ、あまりに笑ったり、または怒ったり、心配したりする人は顔に早く皺が寄りますから、なるべく笑わないやうに、怒らぬやうに、心配せぬやうに心がけることが肝要であります」。
うーん…。シワ予防のために、笑ったり、怒ったりしちゃダメなんて、少々人生が味気ないような。やはり“表情を豊かにしない”文化が、根づいている感じがしますね。
明治半ばを過ぎると、少しずつシワに関する意識が広がっていきます。その役割を担ったのが、“カリスマ美容家”たちです。
「明治半ばになると色々な美容家の方が独自の美容法を提唱し、化粧品やエステティックサロンのプロデュースを行うようになります」(富澤さん)
(『美顔法』北原十三男著 1910年。ポーラ文化研究所所蔵)
そんな美容家のひとりが“北原美顔”の創設者である、北原十三男氏。著書『美顔法』の中には、“整皺術”(せいすうじゅつ)という項目があります。
日本人は入浴を好み、表皮の潤いが奪われるため、シワになりやすいという分析は、今読んでも納得できますね。「卵白やグリセリンを用いた、シワ取り化粧品の作り方も紹介されています」(富澤さん)
明治末期になると、“マッサージ”が注目されていたようです。下記は女性誌の付録の『現代流行双六』。「お花見」「夜会」「洋行(海外旅行)」など、当時の女性たちの憧れが記されているなかで…?
(『女学世界』1911年 1月号付録 現代流行双六。ポーラ文化研究所所蔵)
「右上にあるのが“美顔術”、今でいうエステティックサロンです。著名な美容家のエステで肌のお手入れをすることが、良家の子女のステータスでした。ただし人に知られないようこっそり通っていたようです(笑)」(富澤さん)。
明治後期から昭和初期にかけては、マッサージ法についての本も出版されました。
(左:『欧米最新美容法』1908年、右:『理論と実際 美容』1929年。ともにポーラ文化研究所所蔵)
顔の下から上に向け、目まわりの眼輪筋に沿って円を描くようにマッサージするイラストが掲載されています。現在も女性誌等に見られる、シワ対策のマッサージと同じですね。
過去の歴史を検証する一方で、ポーラはこれまでに蓄積した膨大な肌データをもとに、ユニークな研究も行っています。その結晶のひとつが、2014年から始まった“ニッポン美肌県グランプリ”です。
「ポーラには、1989年から約29年間にわたって蓄積した、約1750万件(2018年1月現在)にも及ぶ肌データが存在します。このデータをもとに、住んでいる地域の気象情報や、ライフスタイルに関するアンケートを加え、独自の分析で解析しました」と語るのは、ポーラPR担当の河野伶佳さん。
(ポーラ宣伝部 PR担当・河野伶佳さん)
総合的な美肌順位に加え、「肌の潤い」「ニキビができにくい」など各部門も選出しています。気になる「シワができにくい」部門の結果はというと…?
2017年「シワができにくい」部門
1位 和歌山県 美肌偏差値 73.95
2位 京都府 美肌偏差値 65.99
3位 広島県 美肌偏差値 65.60
(*美肌偏差値とは、肌表面のミクロな凹凸など複数の情報から、コラーゲンの状況を推察したデータ)
「1位の和歌山県は、紫外線照射量が多いにも関わらず、シワのスコアが良いんですね。このことからUVケアをしている方が多いと想像できます。ストレスが少ない、寝つきが良いなど、ライフスタイルに関するスコアが良かったのも特徴です」(河野さん)
一方でワースト3位はと言うと…?
47位 群馬県 美肌偏差値 24.20
46位 香川県 美肌偏差値 30.50
45位 佐賀県 美肌偏差値 31.6
「群馬県は、北関東特有のからっ風のおかげで水蒸気密度が低く、乾燥しやすいことがあげられます。香川県は日照時間が長く降水量が少なめであること。佐賀県は冬から春にかけて強風にさらされやすい点が、美肌偏差値に影響したようです」(河野さん)
いずれもお手入れで対策が可能なスコアであり、毎年の気候によって順位は変動するそう。2018年はどのような順位になるか楽しみです…!
「このように、ポーラは“シワ”に対して、色々な角度からの研究を進めています」と、河野さん。シワ研究にかける熱意によって“リンクルショット メディカル セラム“という画期的な製品を実現したポーラ。製品だけでなく様々な視点で美容情報を発信し、今後も日本女性のキレイをサポートしてくれるに違いありません。
【竹内 啓貴(たけうち ひろたか)】
フロンティア リサーチ センター 研究リーダー。入社以来15年間、シワやシミ改善剤の開発や、それらの原因となるメカニズムの解明に従事。皮膚科学・香粧品学のスペシャリストとして、ニールワンの探索に貢献した。
【檜谷季宏(ひのきたに としひろ)】
フロンティア リサーチ センター 部長。2004年よりリンクルショット メディカル セラムの処方化を担当。ニールワン配合医薬部外品の実現と、シワ改善の医薬部外品承認を得るために尽力。機能性素材開発の専門家でもある。
【渡辺有史(わたなべ ゆうし)】
デザイン研究室 チーフデザイナー。パッケージ開発を中心に、ポーラのクリエイティブ全般に携わり、ブランド力強化を担う存在。近年はショットシリーズ全体の育成に力を注ぎ、デザインマネジメントを行っている。
【河野 伶佳(こうの れいか)】
宣伝部 PR担当。販売員の教育担当、商品企画部を経て2017年から現職。商品企画の経験を活かし、ブランド誕生の背景や想いも含めた情報を発信。ポーラブランドの魅力を、女性誌やWEB媒体に幅広く紹介している。
【富澤洋子(とみざわ・ようこ)】
ポーラ文化研究所、学芸員。化粧や美容の歴史や美人観の変遷など、化粧文化研究に従事。主な研究領域は近代の化粧文化史。著書『よそおいの楽しみ、かざる悦び―アール・ヌーヴォー期の銀製手鏡』、(ポーラ文化研究所発行)など。
取材・文/宇野ナミコ
撮影/斎藤大地