
3月
2013/3/11 14:13
問わず語りみたいな。
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しばらくただの連絡帳になっていましたが、こちら、たまに連絡帳にさせていただきつつ、なるたけ普通のブログに戻します。
私のケアの主体になってしまっているので石鹸のお話は書きます。
もともと石鹸は石鹸主体のブログを持つ予定でしたが、どうも私にはテーマを絞り切ったブログは向かない気がします。
それに本当は意外と書き無精で、他にもブログを持ったらこちらがますますお留守になりそう。
ゆったり石鹸作ってますよーなブログにしたらしたで私には似合わないという感じ?
そういう演出をすればするほどに本音と離れていくようなウソ寒さ?
って、要するに私自身がいろんな事に興味を持っていて、決して何かだけに生きていなくて、あらゆる面白さ、楽しさ、痛さがあって、ハイヒールで闊歩する日もあればワンマイルウェアで雑用だけにかまける日もあり、彼氏に我儘三昧の姫でありながら、真面目に本業に従事する顔も持ち、つかず離れずなイイ距離を保つ友人と発展性のある話題て盛り上がる日もあれば、職場の人と真剣な打ち合わせわをしたり人生語りを聞かされたりしつつ人々に揉まれ、1才の息子のヤンチャな娘と対決する日もある、
優先順位や比重の差はあれど、全ての中にあって、石鹸はそんな中で生まれし形となったもの。
で、友人が私には、括られずにヘラーっと呟けるツイッターが向いてる、
短文でサクッと書いてしまうツイッターの方が気軽だから更新も途絶えないし、常に新しい情報を提供できる、と。
そーかも、そーだわ、ツイッターなら、あ、と思い付いたら歩きながら打ち込んじゃうし。
といっても、一応、Artigianalemitomiみみちゃん石けん店主として呟くので、イマイチ寒いのですが。
そりゃ、しょうがない。
たまにお料理なんぞはライフとして組み入れてしまいましたけど。
それはブログに書いたと同じ。
お料理も楽しみましょう、作りましょうという呼び掛けです。
プロが呼び掛けてもフーン、ですが、私程度の面等臭がりが呼び掛けたら、あの人が簡単ならきっと簡単、と感じて欲しいわけです。
などなどを感じつつの日々、基本、わりとマイペースにノホンとしています。
いつからか、やりたいようにやる、生きたいように生きる、という我儘を振り回しているけど、振り返れば、ものすごく優しく厳しく見守ってくれている周囲に支えられながら。
スキンケアは超超超シンプルになっています。
シンプルになり過ぎた最初は、これでいいのか?と考えたこともあったのですが。今じゃそのような疑問もなくなりました。
どう眺めても、肌自体が欲求していないからです。
何かしなければ、と思わなくなったのは、美容雑誌を全く読まなくなったのも一因だと思います。
美容雑誌は情報誌でありながら、いわば広告誌であるわけで、この新成分を使わなければ老ける!これを使わなければ乾く!と思わせる文章の宝庫ゆえ、あまり巷の流行りに興味のない私ですら、読むと買わなければ使わなければとなるわけてす。
しかし、見なきゃ見ないで何一つ欲しくならないから使わない、そして結果的に全然不具合がない。
知って買って使っていた頃の肌がよかったかというと、よくもなかったし、むしろ肌は季節の影響で揺らぐ程度にひ弱なままでした。
シンプル過ぎる今は、よほどの不摂生がない限り、バランスよく潤い、トラブルなく、クマや赤みの色ムラがないからスッピン平気、
以前はなんの拍子かに出るホウレイ線のところもフックラ盛り上がっているのでドヨンとヤツレ老けすることもありません。
これでは、何か対策を練らなければ、などと思うことすらないわけで、もちろんデパートのコスメカウンターに寄ることもなく、たま~に美容部員さんの居ない時間帯なのか?ソコソコブランドのコスメ陳列台の商品を手にしてみたりすることはあるのてすが、どうも欲しくない。
仮に、そうそう、クレンジング剤がなかったわ、と眺めるのですが、あれだけコスメに投資していた私が、たかだか6000円のクレンジング剤を見ては、たかっ!なんでっ?などと。
いや、わかっています、価格はモノそのものに付いているのではなく、あらゆる背景がら割り出されたもの。
高いわけではない。
ただ単に私にとっては必要じゃないから高いと感じただけです。
どうも、簡単に言うと忙しかった時、
厳密に言えば優先順位が高いくらいに必要を感じていたらば、どれだけ忙しくても切羽詰まって買いにいくので、コスメ買いに時間を費やすことが私の中での優先順位が低位置に達していたような時期に、
これでいいや、とドラッグストアーで適当に購入した安物で全く支障かないとに気付いてしまったため、私の中の価値観が変わってしまったのでしょう。
もちろん、安物であれ、中身は見ます。
長年、中身を見てきたので、構成はだいたいすぐにわかります。
これ、私の強み。
一応、きちんとしたコスメカウンターで販売されているものをマトモとしたとして。
いわゆるマトモを一度も使ったことがなかったらマトモを使わないから私の肌はヤバい、などと空想し、マトモを使えば私の肌は美しくなると空想するかもですが、長らくマトモを使っていた時と、マトモを使っていない今の私に違いがない。
むしろ使っていない今の方が安定していて綺麗。
だからマトモを使っていないことになんの不安もなくなっちゃったのです。
そうして特に昨年から数ヵ月。
一昨年から環境が変わって、いや、自ら環境を変えて心幸せに生きているからこうなんだ、とも思っていました。
人は身体、要するに肌も心に左右されるからです。
そして化粧品というものは結局、肌を和らげる保湿水と賢い脂質しか要らないのでは?というところに達してしまいました。
この達観は仙人になった気分です。
何故ならば無駄な欲望が湧かなくなった点が。
さて、どういう経過でこうなったのか?
途中では、おかしな悪足掻きなんかもうエエわ、素直に老けたらそれでいいやん、とも思いました。
悪足掻きすればするほどに不自然だったり頑張り過ぎが痛々しい人になるのも、まるで本意ではないからです。
ところが、そう思えば思うほどに、いやいや、思いもしない、どちらかというと、そんな種類のことがどうでもいい、いやいや、どうでもいいほど退化するわけでもなく、とりあえず、若さとかに執着もなくひたすら自分としてあるがままにいればいるほどに、更に年齢よりグンと下に見られるのは不思議な誤算、というか、若くなったのではなくて、現実的な年齢の加算はあっても全体の進行が(退行?)どこかで停滞したのでしょう。
気にしなければ気にしないほどに。
そもそも私は若い時からずーっと感じているのです。
例えば誰かの娘として、奥さんとして、彼女として、誰かに紹介された時に付いて回る言葉は
「お綺麗な方ですね」
または、誰々の娘さん奥さん彼女は美人、みたいな評価。
ふん、表層に価値を集約しやがって、みたいな反抗心。
自身、あらゆる多様な内面に自信があればあるほどに、ソコだけ?みたいな。
もちろん、出会い頭で内面までわからないし表層しか見えないので当たり前だとしても、一個の人物として、それじゃ置物ではないか、何に長けて何に興味があって造詣深いのか?くらいは覗こうてしやがれ、みたいな。
は、ただの反抗ですが、私は美容サイトを抱えていたわりには、見てくれだけのまやかしにはまるで興味がなく、
美容サイトを抱えていたら毎日毎日、美容三昧だと思われ勝ちですが、身近な友人らが呆れるほどに私は美容そのものにはテキトーで、興味の対象か他にあればあるほどに、いわゆるナリフリかまわないくらいの不精です。
なので、作りすぎた若づくりや、痛々しい若づくりには全く興味がありません。
昔々に、旦那様が10才年下で自分が老けて見捨てられるのがのが怖い、どうしたら若く見えますか? といったメールをいただいたことがありますが、少しがっかりしました。
男性というものはそんなこととうに分かっていて、全てひっくるめてのその女性を選んでいるのだから、なんの悪足掻きなのか?と。
その文面は、文面自体が微妙に昭和がかっており、脳は停滞しているようでしたが、見てくれごときのしょーもないことに悩む暇かあったら、しっかり今を生きる進化した脳、普遍の脳を養うべきであり、あるがままの年齢の自身に自信を持って輝いていたら、おのずと周囲からは若くも感じられるでしょうし、ご本人のためになると感じました。
しかしそれを気を悪くされないように説明することは難しく、スルーしてしまいました、
素直で有りのままで生きられるほどの幸せはなく、そして取り繕いのない素直で有りのままを愛してくれるパートナーがいたら更に幸せです。
気負いがなくなり、自然と刺が取れ、ついでに見てくれの若さなんぞに固執しなくなります。
すると望まなくても勝手に若く見えます。
さて、また話しが逸れました。
スキンケアが激しくシンプルになった、の続きです。
この記事をUPすることを少し躊躇ったのは、私は宣伝をする気ではなく、本気の感想ですが、どうも立ち位置が変わったので宣伝混じりになる気がして難しい。
とにかく、宣伝ではありません、むろん、偽善者ではないので皆様のためにだけ生きてはおらず、結局は正直ぶった宣伝やんケ、になりそうですが、違います。
今じゃ、乾く洗顔剤と盛る保湿剤で構成された化粧品販促のカラクリを鬼の首を取ったみたいに話す気にもなれず。むしろそれも文化としてアリだと思うに至り。
私が個人的に使う気になれなくても文化は栄えて欲しい。
たまからアリ。
ただ、先日、友人が、どうして乾かないのか乾くのか、全ては持って生まれたものなのか、と尋ねてきた矢先、
数人のお客様からのメールにて、これまで口先では言うものの、本格的確信がなかったことが確信に変わりました。
正直いうと、今回の自作からは、私は盲目的に傾倒しない性格なので、石鹸だけに比重を置いて肌を観察したことがなかった。
販売するとなると、使用感や内容、そして何より規制があるのを分かっていながらゆえの安全性、特に苛性ソーダの残留や、その残留がいずれはどうなるのか、の方に関心が強く(これはケン化率が低くても攪拌や保温の不具合で起きる恐怖です)、私の肌がどう良く変化するか、より、問題はないかどうかに気が回り。
しかしなから、アッ!そうか。
私が石鹸を使うようになってから、結局、私の肌についたものは自活力です。
肌に体力がついたのです。
肌の力を呼び覚ます、だとかホメオスタシスどーたらなんて興味のなかった私。
そう。化粧品にはできないと感じるから興味がなかっただけ。
そうか、石鹸洗顔で少しずつ肌が変わったのか、すなわち肌体力がついた。
そうしてある日、クチュールブランドの洗顔剤を使う40代より、ありきたりの固形石鹸を使っているお爺さんの方が肌が綺麗なことに気付きます。
要するに肌にどうでもいい物質を使わないでいた肌はツヤすらある。
余計なものを盛れば盛るほどに排泄作用に疲れた肌はヘバる。
肌に有益な成分はついでに無益、あるいは害すらもれなく付いてくる。
私は深く考えあってではなく、必要に迫られて固形石鹸の栄養たっぷり版を使い続けていたら肌に力がついたみたい、それが答です。
で、ケアの最目的は盛ればイケてる肌ではなく、盛らなくていい肌。
といっても私は、ってことであります。
クチュールブランド、ハイブランド、高値のオーガニックブランド、45グラム9万円のクリームを浴びるように使った私がたどり着いたのはオイル美容、そして石鹸は私にとってはオイルなのでした。
んで、正直な感嘆です。
コマーシャルではありません。
だいたいそもそも、人は使いたいものしか使いません。
押し付けられても使わないものは使わない。こういうところで必死にならんでも←商い向かない←今さら嘘寒いことわ書いてもバレバレ←どうするよ←なすがまま、明日は明日の風が吹くから大丈夫。
長くなったのでなんだか中途ですが終わり。
中途でもUPしないとまた延びちゃう~ってことで。
それと。
リピートくださっている皆様、本当にありがとうございます。
石鹸が元気に一人歩きしていること、とても嬉しく思います。
仲よし友人が言ってました。
よかったらまたオファーがある、よくなかったらない、わっかりすいお仕事よ。
よくなかったら何がよくなかったのか進化の材料になるしね、って。
これ、私は本業でもなのです。
怖くはない。楽しいですね、ほんに実にわかりやすくて。
何に対してギャランティが発生しているのかがクリアーだから。
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