
昨日、一人時間ができたのでどうしても行ってみたかった場所に足を運びました。
横浜市にある「ハーブガーデン和枝園」
このハーブ園が作られた経緯には悲しい過去があります。
とても悲しくて残酷な事件です。美容とは関係ありませんがよかったら読んでくださいね。
昭和52年、厚木基地を飛び立った燃料満載の米軍機、ファントム戦術偵察機がエンジン火災を起こし横浜市の宅地造成地に墜落しました。あたりは火の海となり、9名の方が重軽傷を負うという大惨事でした。パイロットは緊急脱出、パラシュートで降下し無傷でした。
ジェット燃料による火炎の直撃を受けた林和枝さん(当時26歳)は全身の80%におよぶ大熱傷、和枝さんの子供たち(裕一郎君当時3歳・康弘君当時1歳)は、ほとんど全身…100%という熱傷でした。裕一郎君は「ジュースちょうだい!おさじ一杯でいいからお水ちょうだい」と泣き叫び、翌日、水の一滴も与えられないまま幼い兄弟は亡くなりました。裕一郎君は最期に「おばあちゃん、バイバイ…」という言葉を残し、弟の康弘君は「ぽっぽっぽ…」と覚えたばかりのハトポッポの歌を口ずさみながら…。母親の和枝さんは子供に会うことだけを心の支えに凄まじい治療に耐え続けます。子供たちの死を知れば命の灯は消えかねない。よって、子供の死は長い間隠し通さねばなりませんでした。ご家族にとっても残酷な日々の始まりでした。(和枝さんは実在しない家政婦さんに宛てて「子供たちがお世話になっております」と手紙を書いています)その後、回復していた和枝さんですが、ついに子供の死を告知されます。
絶望…そして夫ともすれ違い離婚…。
事故から4年4ヵ月後に理不尽な理由で亡くなられました。
簡潔に説明させて頂きました。が、本当に書ききれません。
苦しみ、悲しみ、家族の方の葛藤…「壮絶」、その一言に尽きます。
私の住むマンションの真上も米軍機の飛行ルートになっており、横須賀に空母が入港すると凄まじい爆音をたてて演習が始まります。
ある日突然、ジェット機が落ちてきて我が子をジェット燃料に焼かれるとはどういうことなのか…。
和枝さんの遺志を継いでお父様が開園されたハーブ園。しかし、数年前に和枝さんの最良の理解者であったお父様も亡くなられました。ハーブ園は本当にひっそりと寂しげに…忘れ去られたように見えました。
「34年という年月が経過するということはこういうことなのだ。」
悲しいけれど、どんな事件も少なからず忘れられていく、風化していく。
安保条約、地位協定…政治的なことは私には正直わかりません。米軍基地なくなれ!、これも少し違う気がします。ただ、忘れ去られていくにはあまりにも悲しい。
覚えている事、語り継ぐことは供養になるのではないかと思っています。
画像1 カズエと名づけられたバラ
2 園内の慰霊碑…お父様、土志田勇さんの想いがこめられています
5 私がこの事件を知るきっかけとなった絵本
6 お父様、土志田勇さんの著書。父が娘を想う気持ちに胸が熱くなりました。
7 横浜・港のみえる丘公園、フランス山地区にある母子像。事故の経緯を説明した碑文はなんと2006年まで行政側が許可しなかったそうです。日本政府にとってもアメリカ軍にとっても非常に「まずい」事故なわけです。闇に葬りたかったのではないでしょうか。
和枝園の見ごろはラベンダーが咲く夏ということなのでまた来年訪れてみようと思います。
港の見える丘公園に観光で行かれることがあったら是非、母子像を見ていただきたいです。





美的子さん
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美的子さん
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180umiさん
やさぐれの母
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