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クリスチャンが仏教僧からクリスチャニティーを学ぶ 仏教徒から自律神経バランス安定の術を学ぶ

クリスチャンが仏教僧からクリスチャニティーを学ぶ 仏教徒から自律神経バランス安定の術を学ぶ

クリスチャンが仏教僧からクリスチャニティーを学ぶ
 仏教徒から自律神経バランス安定の術を学ぶ

これすなわち“より良い生き方”“より健康な生き方”を学び、この短い一生という期間を幸せに暮らす術を学ぶということに至るのだと思います。

2006年にはすでに...(下記ご紹介書籍67ページ抜粋ご紹介)
“「日本の動燃は、世界一安全水準が高いから安全だ」。そういう言説は真っ赤な嘘です。”
“地球の財産の大半は、人を殺す武器の開発に使われているのですよ。”

また2011年には再版され、27万部を突破した、精神科医(名越康文氏)が「1ページ1ページに目を見開かされた。言葉のもつ力、論理性の高さ、驚くべき著作」と大絶賛の本。

立ち読みしなくても、“本の帯”を見ただけでもきっと読みたくなる、お子様の人間としての健全なる生き方を説く、親御さん、教育者、セラピスト、あらゆる人に読んでいただき、心にも体にも良い作用を起こすのは自分自身であることを、日常の生活の中で毎日見るような光景を例として、理論的に語ってくれる、今からでも学べる。そんなご本のご紹介をします。

決して仏教の本ではありません。仏教の教えが、仏教を文化・風習に年間を通して受け入れている私たち日本人が知るべき内容が、すべてのページに書かれているといっても過言でないでしょう。冒頭の精神科医、名越康文氏の言は、確かにその通りでした。

わたしの、おれの人生なんでこんなになっちゃったんだ...と嘆いている人、日々心を痛めながら生き続けている人たちにもきっと、空からの一筋の光が見えるかもしれない。そんなご本です。

本の中を見なくても、本の帯には文中よりのそのまま抜粋がありました。

“「怒り」は、人間の不幸そのものです。”

サンガ新書003
『怒らないこと 役立つ初期仏教法話』(この本には後編“2”も出ています)
2006年8月20日 第一刷発行
2011年4月01日 第17刷発行 (かなりの数の日本人が読んでいます)
著者  アルボムッレ・スマナサーラ
装丁  重原隆
発行者 島影透
発行所 株式会社サンガ

アルボムッレ・スマナサーラ
スリランカ上座仏教(テーラワーダ仏教)長老。1945年4月、スリランカ生まれ。スリランカ仏教界長老。13再で出家得度。国立ケラニヤ大学で仏教哲学の教鞭をとる。1980年に来日。駒澤大学大学院博士課程を経て、現在は(宗)日本テーラワーダ仏教協会で初期仏教の伝道と瞑想しそうに従事し、仏陀の根本の教えを説き続けている。朝日カルチャーセンター(東京)の講師を務めるほか、NHK教育テレビ「こころの時代」などにも出演。著者に『自分を変える気づきの瞑想法』『仏陀一日一悟』(佼成出版社)、『ブッダの実践心理学』(藤本晃氏との共著、以上サンガ)、『原訳「法句経一日一悟」』(佼成出版社)、『ブッダが教えた本当のやさしさ』(宝島社)など多数ある。

日本テーラワーダ仏教協会: http://www.j-theravada.net

上述の購入前でも誰でも見ることができる“本の帯”には、同書の最後のページ(203ページ)からの抜粋があります。お時間があれば本屋さんでご確認なさることもよろしいのではないでしょうか。

怒りとはなにか、怒りが私たちになにをするか、怒りが私たちの体にどう作用するかなども、怒りの継続と蓄積の行き着くところ、などなど仏教学者から化学的、社会的、生物学的根拠、その他さまざまな見地から説かれるとは思いもしないご本でしょう。

今日の抜粋ご紹介は、この本の帯からと、本の最初の“サマリー的な部分から”のみ。それだけでも本の中身がなにを言わんとしているかがわかるご本かと思います。第二弾もすでに発行されています。

“「怒り」は、人間の不幸そのものです。私は、人間みんなに素晴らしく幸福に生きてほしいと思います。たとえ1分、2分でも、30秒でも、困ったり悩んだりする必要はありません。悔しがったり、「ああ負けた。こん畜生」と思ったりするのは不幸です。ですから、心は常に喜びを感じながら、常に明るく、常に楽しく生活していただきたいのです。短い人生ですから、苦しがったり、悩んだりする必要はありません。心構えしだいで、誰もが幸福に生きられるのですから。そのためには、我々の不幸をつくり出す「怒り」だけは、けっして心の中に入らないようにすることです。(本文より)”

≪16ページより抜粋ご紹介≫
「怒りが生まれると「喜び」を失う」
“怒りを意味するパーリ語(お釈迦様の言葉を忠実に伝える古代インド語)はたくさんありますが、一般的なのはdosa(ドーサ)です。このdosaという言葉の意味は「穢れる」「濁る」ということで、いわゆる「暗い」ということです。
 心に、そのdosaという、穢れたような、濁ったような感情が生まれたら、確実に我々はあるものを失います。それは、ピーティと言って、「喜ぶ」という意味の感情です。我々の心の怒りの感情が生まれると同時に、心から喜びが消えてしまうのです。
≪中略≫
...自問してみればいいのです。「べつに楽しくはない」「何かつまらない」と感じるならば、そのときの心のどこかに怒りの感情があります。「退屈だ」「嫌だ」などの感情があるときは、心に怒りがあるのです。「ああ楽しい」「幸せだなぁ」「わくわくしている」というときには、怒りはありません。「元気です」というならば、その心に怒りはありません。
 このようにして、「怒り」というものを、文字面ではなく、「自分の心に生まれる感情」として把握してください。それによって、怒りというものをある程度認識できます。”

ここでいう“ある程度”も、本を読み終わった後にはその程度の域を大きく脱するほどの認識・理解が生まれると思います。そしておそらく第二弾の続本も読みたくなるでしょう。

≪17ページより抜粋ご紹介≫
“「暗い感情」(dosa)が強くなると「怒り」(vera)になる”

人は怒りにまかせ、拳を強くにぎることでさらに怒りが増すということを何年も前にものの本で読みました。人やものを殴ることでさらにその怒りが増加します。怒りの継続や蓄積が、果ては最悪の事態までも引き起こすことも、この本には例を伴って語られています。そして怒りが伝達することも...。普段わかっていることと、きっと誰もが認識しているでしょうが、文字にしてみるとそれはとてつもない危険性があることがわかります。人生の意味の何かを解したように。

≪17~22ページからの部分抜粋ご紹介≫
“それから感情には、「どんどん強くなる」という性質があります。強くなってくると働きも違ってきますから、やはり違う言葉を使わなくてはなりません。”

≪中略≫
“怒りがすごく強くなると、自分の歯もジリジリと噛んだり、拳を握ったり、筋肉が震えたりする。そんな「強い怒り」には、パーリ語はvera(ヴェーラ)という単語を使います。パーリ語には、怒りについてこの他にもまだたくさん言葉がります。”

下記の同ページ群からのそれぞれの怒りの詳細についてが、先を読み進めることにより、より詳細に見えてきます。そしてそれは第三者である他者だけのことではなく、実は自分の中にあることを気が付かせてくれると思います。


“ウパナーヒーは怨みです。いったん怒りが生まれたらなかなか消えなくて、何日でも何か月でも一生でも続くことです。”

“マッキーは、軽視する性格だと覚えておきましょう。いつでも自分のことを高く評価して、他人のよいところを軽視して見る性格です。人の才能・能力・美貌・体力などの長所を認めたくなくて、何か言いがかりをつけて軽視するのです。これも怒りなのです。”

“パラーシーは、張り合うことです。他人と調和して仲良く生きることができない。いつも他人と競争し、倒そうとする気持ちで、他人に打ち勝つ気持ちで生きている。まわりの人々に対して挑戦的なので、結果として張り合うことになるのです。これも怒りです。”

“イッスキーは、嫉妬することです。他人のよいところを認めたくない気持ちですが、そのエネルギーを自分の内心に向けて暗くなるのです。”

“マッチャリーは物惜しみです。俗にいうケチということです。ケチであるならば欲張ることではないかと思われるかもしれませんが、本当は違います。自分が持っているものを他人も使用して喜ぶのは嫌なのです。分かち合ってみんなで楽しみましょう、という性格ではないのです。ですから暗い性格です。したがって物惜しみは怒りなのです。”

“ドゥッパチャは、反抗的ということです。いつまで経っても人は完璧にならないものです。だから我々は他人から学んで、他人の指導を受けて成長しなくてはなりません。他人から学ぶことは、本当は死ぬまでやらなけくてはならないことなのです。しかし、他人にやるべきことをあれこれ言われると受け入れがたく、拒絶反応が起こる。これも怒りです。”

“クックッチャは、後悔です。後悔することは格好いいことだと勘違いしているのです。反省することとは違います。過去の失敗・過ちを思い出しては悩むことです。かなり暗い性格です。性質(たち)の悪い怒りなのです。”

“ビャーパーダは激怒です。異常な怒りという意味でもいいでしょう。何も理由がないにもかかわらず、怒ることです。理由があって起こった場合でも、その怒りは並外れて強烈なものです。人を殴ったり殺したりする場合の怒りは、この怒りなのです。”

そして世の中の破壊の原因は「怒り」であることがわかりやすく述べられているご本です。
また仏教とキリスト教の教えの一致する部分にも言及しています。
しかし仏教で使う言葉“神仏”を見直してみても、“神”と“仏”が一つの言葉になっていることに不思議なものを感じます。
この場合の“神”は神道と理解したほうがよいのでしょうか。それともキリスト教の言う全能の神、なのでしょうか。

≪71ページからの抜粋ご紹介≫
人間は誰しも、心のどこかに「あの人は悪人だから、死んで当然だ」という考えを持っているものです。
でも、「悪人はみんな、死んで当然だ」という理屈にしたがうのなら、どれぐらいの人間が死ねばいいと思いますか?
結局、それは人類全体を破壊するということになってしまうのではないでしょうか。
では逆に完璧な善人はどうかというと、これもいませんね。

≪72-73ページからの抜粋ご紹介≫
イエス・キリストにも似たような有名なエピソードがあります。
「不倫をした女は石で殴って殺す」というユダヤ教の戒律にしたがって、人々が不倫した女の人を捕まえたときのことです。人々はその人を柱に縛って、石をぶつけて殺そうとしていました。不倫した女は処刑に決まっているというわけです。
そこにイエスが現れて「あなたがたは何をしようとしているんですか」と聞きます。
「この女は不倫をして旦那を裏切った。だから、我々が神様の教えにしたがって、石で殴って殺すのだ」と人々は答えます。
するとイエスは、「よくわかりました。では、最初に何も罪を犯していない人から石を投げてください」と、言って去ったのです。
その言葉を聞いたとたん、誰も石を取ることができなくなってしまいました。それでこの女性の命は救われたのです。
このイエスの言葉は真理です。「悪いことをしたのだから、その人には罰を与えても当然だ」という思考は、本当におかしいのです。「殺してもいい」などという物差しは、どこにも存在しないのですから。
ここでイエスが言っていることは、つまり「赦(ゆる)してあげてください」ということです。どこまで赦すのかというと、「どこまでも」です。赦しにはリミットがないのです。「その教えは、間違いなく正しくて、それで幸福が得られる。神の世界が自分に現れる」と言っています。「神の世界」は「幸福という状態」のことですね。
≪中略≫
その状態(愛情と幸福だけでいっぱいになること)を、キリスト教では「神」と呼び、他の宗教では別の言葉で表しています。その単語自体はあまり意味を持ちません。大切なのは「赦す」という行為なのです。また、人の感情を(キリスト教のように)神格化しない仏教は、単純に「慈しみ、赦す」という言葉を使います。

さらに“「怒り」がきづかないうちにからだを壊す”(76ページ)では、
“たとえば脳細胞ですが、とくにいろいろなホルモンを出している場所には、見えないほどの器官がたくさんあります。小さすぎてすぐには感じませんが、怒りは自分の内臓とホルモン関係のすべての器官を燃やしてしまうのです。
いちばん先に影響を受けるのは、内臓です。心臓にしても、肺にしても、腎臓にしても、内臓というものは二十四時間ずっと仕事(自律神経の働き)をしています。その細胞が怒りによって早く老化してしまって、自分自身が知らないうちにじわじわと病気になっていくのです。あちこちに痛みが出てきたり、胃潰瘍になったり、内臓全体がガンになったりと、治りにくい病気になるのです。怒りの感情をよく起こす文句だらけの人は、病気がちで、他人よりも先に老けてしまいます。
すごく疲れやすかったり、眠れなかったり、病気がちで悩んでいたりする人は、心にも問題があると思ったほうがいいですね。そういう人は、怒りの性質をかなり持っているはずです。”

ホリスティック療法としてのメディカルアロマテラピーでの効果を求める際の“性格”を最終的に聞くことがある理由のひとつがここにあります。
今回は、仏教の教えから人間の生活、その幸せだけでなく、生理的な体の不調にまで発展することを読み解けるかと思います。

西洋医療の薬が万人向けにつくられていても人それぞれ作用や効果が異なる理由の“ひとつ”と考えて間違えはないでしょう。同様のことが東洋医療や民間療法にも言えることです。

“ホリスティック”に考えるということは、まさに“あらゆる面から”ときに子供の意見だって真摯に受け止めることが必要です。「子供だから」とか「部下だから」とか「女だから/男だから」と彼らの意見を軽視することは、“自分は...”“自分こそが...”と考えてしまう傲慢であり、その傲慢さは“怒り”を生みだし、本当に苦しめられているのが実は自分なのではないでしょうか。

アロマテラピーの自律神経バランスの重要性が、ここ、仏教の教えの観点からも読み取ることができる思います。自律神経のバランスを崩すストレス社会。人間にはストレスが不可欠ですが、そのストレスが度を超えた場合、すなわち自律神経のバランスが崩れ、心と体の不調を訴え、医療や民間療法を必要としなければならなくなる状態の基本が、ほとんどが自身の持つ“妄想概念をつくり出すエゴ”からくる怒りであることが述べられているご本をご紹介させていただきました。

現代人の心身を苦しめる“ストレス”の正体は、おそらく「自分の思い通りにいかないこと」に対する、自身でも気が付かない“怒り”なのかもしれません。

少しでも、ほんの少しでもこれからの皆さまの日々が、温和な、平和な日々となりますことを、心より祈っております。

いい本です。ご一読をお勧めします。
この著者のご本はたくさん出版されています。
わたしもこれからこの人の本をいろいろと読んでみたいと思います。




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