醜形恐怖症、、?
解決済み匿名 さん
23歳です。とても不快になる投稿ですみません。
私はすぐに自分と他人を比べてどっちの顔の方が優れているかを考えてしまいます。
道行く方は特に何も思わなく、可愛い人や綺麗な人を見ると純粋に可愛いなぁと思います。
ただ、自分と関わる近くの可愛い人(友達の知人やバイト先の方やお客様など)はすぐに自分と比べてどっちの顔の方が勝っているかを考えてしまいます。
そして自分が勝っている自信を持たないいとすごく落ち込みます。
本当に性格が悪いというか、何でこんなのになってしまったんだろうと日々虚しいですし精神的なものから来ているのでしょうか、、?
30歳を超えてもこんな感じだと辛すぎますし、老化を受け入れられず前向きに生きていける自信がありません、、
私はすぐに自分と他人を比べてどっちの顔の方が優れているかを考えてしまいます。
道行く方は特に何も思わなく、可愛い人や綺麗な人を見ると純粋に可愛いなぁと思います。
ただ、自分と関わる近くの可愛い人(友達の知人やバイト先の方やお客様など)はすぐに自分と比べてどっちの顔の方が勝っているかを考えてしまいます。
そして自分が勝っている自信を持たないいとすごく落ち込みます。
本当に性格が悪いというか、何でこんなのになってしまったんだろうと日々虚しいですし精神的なものから来ているのでしょうか、、?
30歳を超えてもこんな感じだと辛すぎますし、老化を受け入れられず前向きに生きていける自信がありません、、
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2024/8/25 01:38
なんとなく質問者さんから感じる事として「思い込み」のようなものが関係しているかもと予想します。
「固定観念」ともいうべきでしょうか、老化を受け入れられなくなりそうって思ってるってことは「若いこと」は「美しい」という風な考え方を強くお持ちで、「年をとっても尚美しい人」というのを目の当たりにしたことがないのかなあ?と思えます。
「若い」ならば「年をとっても尚美しい人」と比べて「美しい」と言えるかというと私は当てはまらないと思います。
私が見たことある「年をとっても尚美しい人」は「若々しい」から美しいのではないからです。
そりゃ「若い時から美しい」タイプの人もいますが、「年をとったから、美しい」タイプの人もいるのです。
全然顔の美しさに関心を持っていない人もいる一方で、質問者さんのような「顔が美しいことこそ至高」と言えそうな考え方の人もいるんだなと前々から幅があるよなあと考えていました。
「若くない」イコール「顔が醜い」と思っているのを急にそうではないと思おうとしても難しく感じるでしょうが、ちょっと考え方を変えるとしたら「美しい人」なのに「美しく見えない人」という疑問についてですかね?
顔立ちが美しいのにこの人の印象が悪く見えるのはなんでだろう?と疑問に思ったことがあります。
にこやかにいつも笑顔を浮かべている人なのに裏の顔がありそうってどうして思うんだろう?ってテレビの有名人とか見ていると思うんです。
結構「内面って表面の顔に出てる」と感じる瞬間があります。
人の顔を見てそう思う(評価を下す?)のは私の場合20代後半くらいになってわかってきたことだし、自分もそういう見られ方をされてる可能性があることを考えたら結構やばい気持ちになりました正直。
その一方で「年をとったから、美しい人」というのがいる。
不自然さのない表情であることはベースとしてあって、表情自体にバリエーションがあって多彩で感情の動きが素直に顔で表現されているのを見ると「この人の顔は魅力的で心惹かれるなあ」と思うし「安心してお話できるなあ」と思います。
お話ししてるとその顔の美しさって沢山の経験の中でいろんな種類の「喜」「怒」「哀」「楽」によって培われたのではと私は思いました。
言わば顔一つで「美しい」だけでなく「信頼」とか全然関係なさそうな魅力も滲み出るということでもあるわけです。
これはパーツの位置を変えれば美しくなれるというような美容整形的な考え方ではないですよね?
その人の人間全体の魅力って顔の美しさをとても重視するとしても、だったら尚のこと内面の美しさも切っても切り離せないくらいにかなり影響するという事実を考慮しないわけにはいかない気がするというのが私の考え方です。
それなら質問者さんが老化していく際に目標とすべきは「内面を磨くこと」。
質問者さん自身は現時点で結構(私よりは?)ご自分の美に自信がありそうと思いますが、書いておられるように「性格悪い」ならば「性格良い」になることと「本当に美しいってどういうことかな?」とご自分の考え方を追求していくことにあると思います。
自分への見方も変わり、人への見方も変わり、いつの間にか前の考え方で自分を見直しても「あの時よりもっと綺麗になれた」と自信につながっていくのではないでしょうか?(長くてすみません)
「固定観念」ともいうべきでしょうか、老化を受け入れられなくなりそうって思ってるってことは「若いこと」は「美しい」という風な考え方を強くお持ちで、「年をとっても尚美しい人」というのを目の当たりにしたことがないのかなあ?と思えます。
「若い」ならば「年をとっても尚美しい人」と比べて「美しい」と言えるかというと私は当てはまらないと思います。
私が見たことある「年をとっても尚美しい人」は「若々しい」から美しいのではないからです。
そりゃ「若い時から美しい」タイプの人もいますが、「年をとったから、美しい」タイプの人もいるのです。
全然顔の美しさに関心を持っていない人もいる一方で、質問者さんのような「顔が美しいことこそ至高」と言えそうな考え方の人もいるんだなと前々から幅があるよなあと考えていました。
「若くない」イコール「顔が醜い」と思っているのを急にそうではないと思おうとしても難しく感じるでしょうが、ちょっと考え方を変えるとしたら「美しい人」なのに「美しく見えない人」という疑問についてですかね?
顔立ちが美しいのにこの人の印象が悪く見えるのはなんでだろう?と疑問に思ったことがあります。
にこやかにいつも笑顔を浮かべている人なのに裏の顔がありそうってどうして思うんだろう?ってテレビの有名人とか見ていると思うんです。
結構「内面って表面の顔に出てる」と感じる瞬間があります。
人の顔を見てそう思う(評価を下す?)のは私の場合20代後半くらいになってわかってきたことだし、自分もそういう見られ方をされてる可能性があることを考えたら結構やばい気持ちになりました正直。
その一方で「年をとったから、美しい人」というのがいる。
不自然さのない表情であることはベースとしてあって、表情自体にバリエーションがあって多彩で感情の動きが素直に顔で表現されているのを見ると「この人の顔は魅力的で心惹かれるなあ」と思うし「安心してお話できるなあ」と思います。
お話ししてるとその顔の美しさって沢山の経験の中でいろんな種類の「喜」「怒」「哀」「楽」によって培われたのではと私は思いました。
言わば顔一つで「美しい」だけでなく「信頼」とか全然関係なさそうな魅力も滲み出るということでもあるわけです。
これはパーツの位置を変えれば美しくなれるというような美容整形的な考え方ではないですよね?
その人の人間全体の魅力って顔の美しさをとても重視するとしても、だったら尚のこと内面の美しさも切っても切り離せないくらいにかなり影響するという事実を考慮しないわけにはいかない気がするというのが私の考え方です。
それなら質問者さんが老化していく際に目標とすべきは「内面を磨くこと」。
質問者さん自身は現時点で結構(私よりは?)ご自分の美に自信がありそうと思いますが、書いておられるように「性格悪い」ならば「性格良い」になることと「本当に美しいってどういうことかな?」とご自分の考え方を追求していくことにあると思います。
自分への見方も変わり、人への見方も変わり、いつの間にか前の考え方で自分を見直しても「あの時よりもっと綺麗になれた」と自信につながっていくのではないでしょうか?(長くてすみません)
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