体が弱ったとき思い出すこと
2012/3/6 19:59
4日ぶりに髪を洗いました。左手の親指が使えないと何かと不自由だー!さくらん。です。
右手よりはいいだろうという慰めも頂戴致しますが。
その通りなんですけど、特に薬をプチっと出すときうまく出せないのでイラっとします。
水仕事は母が全部してくれています。
今は指に力を入れない方がいいということで。
(割れている爪が肉に食い込まないように)
女がふたり家にいるのはこういうときありがたいですね。
母は片手でも器用に料理しますけどね(・∀・)
・・・
昨日、腹痛騒動から明けて最初に食べたのがおかゆと梅干だったのですが。
おかゆを食べ終わるまで、隣にいた母と色々喋っていたのですが。
後になって、懐かしいことを思い出しました。
・・・
小学4年生のとき、私は肺炎で入院したことがあります。
入院した病院は家と会社の間にあり(共働きでした)、子どもだったので夜は付き添いが必要で母が毎日きてくれていました。
しかし、それ以外のときも母が必ず私の側にいるときがあったのです。
それは「食事の時間」でした。
病院の夕食って大体夕方6時くらいなんですけど。
ご飯を食べるときはいつも、母が椅子に座って食事をする私を見ていました。
肺炎なので食欲はなく、残そうとすると「ちゃんと食べな治らへんよ。家に帰られへんで」と言って、少しでも多く食べるように促されました。
私が食べ終わると母はいなくなり(家に帰って家族のご飯の支度とか家事をしていた)、就寝の時間までに病院に戻ってきて、私が朝ごはんを食べるのを見届けてから出掛けていました。
夕食後、看護士さんが「夕食をどれくらい食べたか」を聞きにくるんですけど。
(その時間には母はいない)
*「全部食べた」と言ったら、「あー、全部残しちゃったの。明日は少しでも食べようね」と言い。
*「少し残した」と言ったら、「あら、今日は少し食べられたのね。偉いねー」と褒められました。
・・やっぱり普通はそれくらい食べられないのね。
しかし母は、毎回毎回私が食べ終わるまで側にいたので私はたくさんご飯を食べ、予定より早く退院することができました。
そのことに気づいたのは随分後になってからなんですけどね。
私の食事を見届けるために、どれだけ余分に自転車を走らせたのか。
頭が下がりますo(_ _)o
・・・
昨日もおかゆと梅干を食べてからは、うどんが食べたいだのマネケンがどうやらの、色々書きましたが、それまでは結構ぐったりしていました。
作っただけでは私がちゃんと食べるかどうか分からないので、隣にいたんだなって。
いつまで経っても、私は母の子どもなんだなぁ。
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