
厳しくするのは、優しくすることより難しい。
2015/9/2 17:02
初投稿を読んでくださり、ありがとうございます。
中高生の娘さんを持つAさんと、やりとりする機会がありました。
そこで
「厳しくするのは、優しくすることより難しい」ということを聞きました。
みなさんは、我が子に対して厳しく接していますか?
厳しいの基準は、人それぞれかと思いますが、
なぜ?厳しくするのでしょうか?
きっと誰もが子育てをする過程で、私が、夫が、突然亡くなってしまったら
我が子は大丈夫だろうか?
どうやって生きていくのだろうか。
少なからず1度は考えたことがあるのではないでしょうか?
これは我が子の年齢関係ないと思います。
私も子を持つ母になりましたが、
自身の親だって、子供の私に対して自分が死んだ後、ちゃんとやっていけるだろうか?
そんな事を考えると思います。
そして子供の立場である私も、親が死んでも私は大丈夫だろうか?と感じたことが
何度もあります。
母親になったのに、まだまだお子様ですね。
Aさんが言うには、自分が死んでしまっても生きていけるように、
親というものは子供に厳しくするものだ!と。
そして、厳しく接するという行為は、優しくすることよりも
ずっとエネルギーが必要である。と、いうことでした。
例えば、私に置き換えて考えてみると、
最近の悩みは、離乳食を思うように食べてくれないことですが、
イヤイヤされても、食べなくても、向き合って時間をかけて食べさせようとする行為と、
嫌なら無理して食べなくても良いと、そこで終わらせてしまうこと。
ここでいう、”優しくする”という行為は、自分のエネルギーを消費しない行為でもあるということなのです。
だから、他人の子に厳しくするのは難しい。
(エネルギーを他人に使いたくないから。)
だから、ジジババは孫に甘い!
(自分が死んでも、親と一緒に孫は生きていけるから。)
それを聞いて、私の中にす~っと納得がいきました。
それに、様々な諸事情で祖父母が孫を育てているケースを時々見聞きしますが、
そういった場合、祖父母は厳しく孫を育てている気がするのです。
これは、育ての親として、自分が亡くなってしまった時、
孫に生きる力をつけるためだと思うし、孫のためであるから。
うまく、まとめられませんが
子育てをするということは、エネルギーがすごい必要だということで、
厳しさの中に優しさがあるという事なんだと、改めて考えさせられた1日でした。
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