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読書日記のこま切れー江國香織「泣かない子供」一人になるとき

読書日記のこま切れー江國香織「泣かない子供」一人になるとき

「恋の終わりには、つま先立ってそっと抜け出すこと」と、かのココ・マドモアゼル・シャネルは言った。
捨てられるのは捨てるよりも惨めだ、とりわけ、女の場合。と知っていての発言だろう。同感だ。
男を立てる意味合いに於いても、それは断固、実行せねばならない。何故ならば、難攻不落の女を手にしたのだ、いい女を自分は手にしたのだ、という印象を、自分で振るよりは残せるかもしれない。或いは、そういう女なら罵れる余地があるかもしれない。いずれにせよダメージが低減できそうだ。
どっちみち傷つくのなら「そっと抜け出す」別れを選ぶべきだ。お互い惨めにならぬよう。

さて、本文のメリーゴーランド。終わりを感じない時に乗っても、これはここで活写されているような効果を必ずしも与える訳じゃあない。
私はその効果――ひとりでメリーゴーランドに乗った時の、男が消えて、ひとりになったという軽やかさをぜひ肌で試そうとしたのだが、そも「終わり」でもなかったし、終ったとしても「尊敬」や「愛情」なんかは永遠に残るたちなので、私にはそれを体感するのは無理だった。それもそれで、いいのだと思う。
いろんな愛し方がある。
当り前の話だ。感性や、二人の間でのなんやかや、そういったもの。

ところで、メリーゴーランドというのは極めて感傷的な乗り物だと思う。観覧車よりも余程。何故だろう。コーヒーカップでもいけないし、おばけやしきでも何かしら生まれそうなものだが、それじゃあいけないのだ。
一度、メリーゴーランドの前で撮った写真がある。これは恋の終わり頃、ではなかったけれど、何故だか感傷的な気分になってしまう一枚である。

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