
わたしは、「解明欲求が高いロマンチスト」だった。
2012/5/10 14:16
肌悩みを取り去ってくれる頼みの綱であり、純粋に美しかったから。
エテュセのアイシャドウが並んだ表紙が特に好きだった。
思えば、カラフルで同じ形・種類のものが好きだった。
コピック・パステル・インク・色鉛筆など。
色見本を見てはうっとりしていた。今でもそうだ。
同時に、種類が多いものの、和名も好きだった。
トンボの色辞典シリーズ?
カタログがなかったから文房具店ですべての名前を書き写した。
蒲公英・浅葱・萌葱・蘇芳・藍摺・熨斗目。懐かしい。
神様の名前も好きだった。
愛染明王しか覚えていないけれど。
美しい形や響きの漢字も好きだ。
特に、琳。琳派にははなっから親しみを感じた。
海外文学の「…に捧ぐ」の部分が好きで
図書館でその部分だけを見つけては読んで楽しんだ。
名著といわれる国内文学の、最後の終わりの一文も好きだった。
捧ぐシリーズには及ばないけれど。
種類がたくさんあるとは、違いがあるということだ。
その色じゃないと表現できないもの。
色のルーツになった当時の生活や風景、人々の視点。
漢字の象形の美しさや、本当の意味。
誰かにささげた著者の想い。
それらを空想しては楽しんでいた。飽きなかった。
私は、その裏側にある物語にゾクゾクしたのだ。
種類が多いものに惹かれたのは、違いが分かりやすいからだろう。
違いあるということは、理由があるということ。
そこから物語を感じやすい。
物語を感じたいのは、物事の大元、原理原則を辿りたいからだ。
なぜそうなっているのか、なぜこうなっているのか。
なぜそうしたのか、どんな人だったのか。
納得することは、喜びだ。
0(根源)に近づくことは、気持ちがいい。
美しいものが好きなのは、本能だ。
0に近づく過程で物語を堪能したくなるのも、食欲や性欲に近い本能だ。
自分は「解明欲求が高いロマンチスト」ということが分かった。
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