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わたしは、「解明欲求が高いロマンチスト」だった。

わたしは、「解明欲求が高いロマンチスト」だった。

高校時代に、化粧品のカタログや雑誌に見入った。

肌悩みを取り去ってくれる頼みの綱であり、純粋に美しかったから。

エテュセのアイシャドウが並んだ表紙が特に好きだった。

思えば、カラフルで同じ形・種類のものが好きだった。

コピック・パステル・インク・色鉛筆など。

色見本を見てはうっとりしていた。今でもそうだ。

同時に、種類が多いものの、和名も好きだった。

トンボの色辞典シリーズ?

カタログがなかったから文房具店ですべての名前を書き写した。

蒲公英・浅葱・萌葱・蘇芳・藍摺・熨斗目。懐かしい。

神様の名前も好きだった。

愛染明王しか覚えていないけれど。

美しい形や響きの漢字も好きだ。

特に、琳。琳派にははなっから親しみを感じた。

海外文学の「…に捧ぐ」の部分が好きで

図書館でその部分だけを見つけては読んで楽しんだ。

名著といわれる国内文学の、最後の終わりの一文も好きだった。

捧ぐシリーズには及ばないけれど。

種類がたくさんあるとは、違いがあるということだ。

その色じゃないと表現できないもの。

色のルーツになった当時の生活や風景、人々の視点。

漢字の象形の美しさや、本当の意味。

誰かにささげた著者の想い。

それらを空想しては楽しんでいた。飽きなかった。

私は、その裏側にある物語にゾクゾクしたのだ。

種類が多いものに惹かれたのは、違いが分かりやすいからだろう。

違いあるということは、理由があるということ。

そこから物語を感じやすい。

物語を感じたいのは、物事の大元、原理原則を辿りたいからだ。

なぜそうなっているのか、なぜこうなっているのか。

なぜそうしたのか、どんな人だったのか。

納得することは、喜びだ。

0(根源)に近づくことは、気持ちがいい。

美しいものが好きなのは、本能だ。

0に近づく過程で物語を堪能したくなるのも、食欲や性欲に近い本能だ。

自分は「解明欲求が高いロマンチスト」ということが分かった。

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