
創業時の社名は「箕面有馬電気軌道」。
梅田宝塚間と、途中石橋(池田市)から分岐して箕面に至る路線、現在の阪急宝塚本線と箕面線を1910年から運行したことが始まり。
創業者は小林一三。

ちなみにひ孫は電車の冷房も完全無効化させるこいつや。

そんな小ネタどうでもええか笑
小林一三のすごさ阪急電車のすごさは、なんといってもその「ビジネスモデル」やねん。
沿線を宅地開発して住民を呼び込む。
当時の売り文句は
「月賦で家が買える」。
いまじゃ35年ローンとがで家やマンションとか買う時代やけど、当時は非常に画期的なことやったんや。
でも、いくら沿線に住民が増えても、電車に乗るとはかぎらへん。
そこで、ターミナル駅に百貨店や遊園地、温泉、そして劇場を作って、沿線民に「電車に乗る目的」を提供し、それらの阪急直営の施設へと誘導する……。
こんなのはいまの鉄道会社はどこも当たり前にやってることやけど、阪急はこれを100年以上も前に、どこよりも先に始めたんや。
そして京阪神を股にかけ、JR民営化前の国鉄に対しても、阪神、京阪とともにシェア争いでも優位に立ち続けた。
そういう背景もあって、いわゆる「関西私鉄王国」のなかでも阪急電車は「関西私鉄の雄」て呼ばれるようになったんや。

どちらをとってもその名に恥じない鉄道会社や。
あともういっこ小ネタを。
「東宝」
て、あれ、
「東京宝塚」
の略なんやで。
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