
幼なじみ。幼稚園。
小学校。中学校。高校。
たくさんの、 " 女の子 " たちがいた。
綺麗な顔立ちの子、
かわいいと評判の子、
スタイルがとても良い子、
穏やかな子、
気が強い子、
明るい子、
ボーイッシュな子、、、、、、、
最近、昔の同級生 をよく見かける。
顔の面影は、やはり変わらないから
すぐにわかる。
しかし表情や服装、イメージは
何十年という時間をかけて
当たり前だけれど、変化している。
美容の話 というのではない。
そのひとの私生活も、何も知らなくて良い。
しかしやはり
オーラ
というものは、感じるものだ。
どんな日常、どんな生活で
どれだけ笑顔でいられているのか。
表情を見ると、一瞬で、伝わってくる。
シャネルが言ったように、
顔は、創られるものだ。
美容クリーム、エステに美容外科。
ブランド服にブランドバッグ。
そういったものにだって、限界がある。
表情 は、はっきりと、浮き出る。
隠せない。
口角をあげよう。と意識したころから
わたしの日常は、本当に、明るくなった気がする。
気がする。でなく 明るくなった。
表情も、わたしを、創っている。
生まれ持った 女の子 の顔から
いま現在、35歳のわたしの顔は
わたしが、創ったもの。
スタイルも表情も、
わたしが、創ったもの。
そして、心持ちも。
意識は人生を変える。
生まれ持った顔、性格、スタイル。
そこにしがみついて、嘆いて
あきらめるひとは、それでいい。
わたしは、生かしたい。
美人でもスタイル美人でも
モテ人生でもなんでもないが、w
わたしはもう、だれかの 女の子 ではない。
自分で自分をプロデュース出来る、
女だ。
中学のときに、
誰が見ても本当に美人で、
しかし本人はそんなことを鼻にかけておらず
誰にでも分け隔てなく接するし、
時々変な顔をしたり物まねをしたり、
フザけていつも笑顔の、
わたしが大好きな、女の子がいた。
(男子がいてもブリッコなど全くなし、それどころか
声も低く話すし、彼女はいつでも自然で、すべてが心地よかった。)
好みの美人や可愛い子は
他にもたくさんいたが(オッサンかw
それは目で見た表面的なもの。どこかそれだけ。
わたしは彼女のすべてが。大好きだった。
20代の頃はシャネルで働いていたらしい。
本当に、綺麗な子なんだ。
先日地元で、彼女を見かけた。
わたしは運転中だったので、声はかけられなかったが
彼女はやはり、
本当に本当に、素敵な、35歳だった。
とても暑く、晴れた空のした
白いシャツにカプリパンツをサラリと履いて
相変わらずの、
美人なのに自然な表情で歩いている彼女は
本当に、
まぶしかった。
彼女はいま独身で、
母親の介護をしているらしい。
本人と連絡は取っていないから、
言葉はかけられないけれども
彼女は、きっと、だいじょうぶだ。
中学のときのあの笑顔は、表情は
ちゃんと、彼女に残っていた。
だから、絶対に、
彼女は、だいじょうぶなんだ。
境遇だの環境だの、苦悩の日々だの
起こる出来事だけは、変えられない。
でも表情はそのときだって、創られている。
表情だけでも、
苦とは逆の方向へ、
持って行きたいと、おもう。
彼女とまたいつか会って、
昔のように、
馬鹿な話で大笑いしたいな。
いま彼女を思い出すとき、
彼女の爆笑の顔しか
あの最高の笑顔しか
思い浮かばないよ。
え?中学のときのわたし?
森3中みたいだった
ぜえ ?
w
http://ameblo.jp/reo-na/