966views

新年の、おまいり5

新年の、おまいり5

天満から環状線で4駅、次の目的地の森ノ宮に到着。

ホームの先端から見えるあれが、秀吉とかいうボス猿(何)が住んでる大阪城とかいう城。
まずはそっちのほうは置いといて、駅から西へ歩く。

たしか大阪環状線改造プロジェクトにおいて最初に駅の美装化がはじまったのがこの駅。階段の昇降のレーン分けがイラスト化されたり、のりば案内もわかりやすくそして洗練化。


レンタサイクルは聞いたことあるけど貸キックボードは初めて見る(何)、ただナンバーついてるからバイクの扱いなのかも。


駅を出て面する道路は、南北を走る玉造筋。東西の中央大通、それと並行する阪神高速13号東大阪線。

さてと。
駅から西へ。そんなに大した勾配じゃないけど上り坂を歩いていく。

しばらくすると左手に見えてくるのが、東急系のショッピングモールのもりのみやキューズモール。元は近鉄バファローズの本拠地としても使われてた日生球場があったところ。そういや球団がなくなって15年ぐらい経つなぁ。


進んでいくと、橋脚が短くなってることに気づく。
坂を上りきると、このように橋脚がなくなって、下道と高速道路が同一平面上に。


で、ちょうどここらへんで左手に大きな公園が見えてくるわけやけど、実はさっきお詣りしてきたところ、大阪天満宮と関連があるところなんや。

舞台みたいになってる。野外ライブとかしたらかなり客が集めれそうやな笑


で、大阪天満宮との関連というのは、
ここに存在してたのが、都ということや。
難波宮跡。正式には難波宮長柄豊崎宮、なにわのみやのながらのとよさきのみや、という。
先のお詣りのときにもご案内したけど、大化の改新のあと孝徳天皇が大阪に都を設けた、というのがここなんや。

孝徳天皇崩御後、奈良の飛鳥地方なり滋賀の大津なりに遷都されてはまた都になり、平城京ができた奈良時代にもまた都になり、と結構振り回されてるなあ(笑)、最終的には平安京遷都にともなって廃されることになるけど、難波宮長柄豊「崎」宮たとあるように、当時は
上町台地と呼ばれるこの地が半島のように突き出た地形で、海運、通商、外交の最重要拠点やったという。なんばも梅田も、当時は海の底やった。

のちに都が奈良、そして京都に移り、埋め立てが進み戦国時代から江戸時代にかけて通商の中心地が堺や中之島(淀屋橋付近)に移ったものの、
すぐ近くにある大阪城の姿を見てもわかるとおり、大阪の政治の中心であり続けた。大阪繁栄の礎は、このころすでに築かれてたということや。
いまじゃ幹線道路や都市高速、高層ビル、マンションも建ち並んで、当時の面影はないけど、いまでも大阪の繁栄を地の底から願っててくれてると思うんやで。






このブログに関連付けられたワード

このブログを通報する

コメント(0件)

旅行 カテゴリの最新ブログ

旅行のブログをもっとみる