
母と知人のお見舞いに行った
大手企業の電話オペレーターとして30数年勤めて定年退職し
さあ、これから旅行や趣味を楽しもうという時に癌で倒れてしまった・・・
さぞ無念であったろうと思う
独身を通された彼女はごきょうだいととても仲が良くて
お見舞いに行くたびに、お姉さんか姪御さんが付き添っておられる
自分のお子さんはいないが
こういうカタチの家族を持って幸せに暮らして来たんだなあ
というのがその場の雰囲気から伝わってくる
彼女のお見舞いにいって、ちょっと驚いたことがある
60歳を少し過ぎた彼女の肌がとても綺麗なのだ
透き通るような白さというが、まさにそんな言葉がピッタリの肌なのである
元気な時に逢った時には、そんな風に思ったことは一度もなかった
なのに、目の前にいる彼女は本当に白くて綺麗な肌をしていた
日光に当たらないからかもしれない
ベットの上の患者さんの白い肌というのは
何か、もの悲しい切なさがある
帰りにお姉さんがエレベーターまで送ってくれた
『もう家に戻ることはできないかもしれません』
そう言われて、私も母もクッと言葉に詰まった
だいぶ前に読んだ、がんとの壮絶な体験を書いた
「終の夏かは」というノンフィクションの一説を思い出した
著者は12歳の時に骨腫瘍で右足を失い
26歳の時に乳ガンで両乳房を失い
そして、他の臓器に転移するガンと闘いながら
医療のソーシャルワーカーとして、同じように病気で苦しむ人のために働いた
人生には終わりがあるから生きられる
だからこそ生きるに値する
『死という安息』
『死』 を 『安息』として捉えている彼女の生き方が見事だった
著者の古越富美恵さんは
この作品で『女性ヒューマンドキュメンタリー』大賞を受賞したが
受賞式の数ヶ月後にお亡くなりになった
私の脳裏には『死という安息』という言葉が今でも鮮明に残っている
anzu_ameさん
ホットミルク★☆さん