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ちひろダイアログが伝える性と生

ちひろダイアログが伝える性と生

【ブログ1993本目…2000本まであと7本】

東京報告や個人的アワードの発表をそろそろする時期なんだけど、
友人が、すぐに男性についていってしまう「淋しい危険」がある、
近所の女子の姿について書いていて、私はこんな人間だから、
世間から外れた人間だと自覚しつつも、いろいろ思うことがあって、
何をわけわかんないことを言ってるんだといわれるかもしれないけど、
ふたをしてしまいがちなことをしっかりと語りたい。
そもそも性について話題にするのを避ける風潮がある、その上、
世間一般では理解できない部分、生々しい部分もありますし、
批判を浴びるようなこともあるでしょう。でもそのすべてを
さらけ出さなければ、本当の思いは伝わらない。
オブラートに包んでいては、真意は伝わらない。
なので不快に思う方もいらっしゃると思いますので、それでも、
読み進んでくださる方がいらっしゃるなら幸いです。


これまでちょこちょことブログに書いてきましたが、
リコーダー・レインボー・ブリッジとして、そして、
ちひろダイアログを終えて、改めて、性と生について書いてみます。
2015年、私にとってさらに大きなテーマになることでしょう。

私はずっと性を嫌悪してきました。
それは今でも続いています。
と同時に、雲をつかむような、まったくわからない、混濁状態
といってもいいでしょう。

もちろん、保健体育で習った基礎知識くらいはあります。
第二次性徴があり、男の子から男性の身体へ、
女の子から女性の身体へ。
男子は精通があり、女子は初潮がある。
精子と卵子が受精することで妊娠する。
その受精に至る行為がセックス。

異性に関心を持つようになり、性的興奮を覚えるようになるけど、
それは異常なことではないこと。
そもそもここで、同性を好きになるのはどうなの?とか、
男性にも女性にもくくれない人がいて、多様な性、などと
いわれているのに、二つを天秤にかければ、男性にとっては
男性が同性、女性が異性、女性にとっては女性が異性、
男性が同性となるのでしょう。
同性の友達を作れ!私はよく親からそういわれました。
でも、簡単にくくっただけで27種類は性別があるわけで、
27のなかでなにが同性で、何が異性なんでしょう。

私は戸籍上は男性です。
思いっきり突き詰めれば、生殖器はどちらかといわれれば
男性です。悲しいかな、第二次性徴が私にもやってきました。
戸籍上は男性なので、法律的にも、生殖からしても、
そして、好きになる相手も女性なので、出会いさえあれば、
女性と問題なく結婚でき、子供ももうけることができるのかも
しれません。
人は言います。どこがマイノリティなのか!ふざけるな!と。

多くの男性にとって、それは至極当たり前のことで、
何の問題もないことが、私にとっては死ぬほど苦しいのです。

だって、私は完全に女性になれるのならなりたいのだから。
男性の身体は誰か他人の身体に寄生して生きてるようにしか
思えないのだから。
心は完全に女性。
そして最近は、男性の身体も抱えながら、胸に痛みを覚え、
ほんの少しですが、ふくらみも。この男女混在の身体に私は動揺が止まりませんでした。女性の身体にもなりきれないけど、男性の身体にもなりきれない。
ユニクロにブラトップを買いに走りに行く一方で、髭は生えていて、生殖器は男性…。
もう自分の身体が分からない。
これまで書いてきたように、
いわゆる一般的に知られている性同一性障害ともちょっと違う事情を抱えています。私は生まれてきた時は男の子だったけど、生後半年で「点頭てんかん」を発病、暑い寒いもわからないほどのマヒ状態に陥りました。病気との直接の因果関係は分かっていませんが、幼い時から明らかに普通の男の子と成長が違っていたんだそうです。私には一つ下に弟がいましたので、一つ下ですから、大体はほぼ同じように身体は成長していきます。その弟と比べて明らかに普通の男の子とは違う「異変」があったんだそうです。

両性具有というわけではないので、生殖器は男性なんだけど、幼少でも生殖器は少しずつ大きくなっていくのだけど、そこが私の場合は明らかに違った。だから傍目には分からないけれども、こういったところで異変があり、生殖器が女性と言うわけではない、だけど、男性としてもこの子は生きるのは難しい…そんなことを母は話してくれました。
性と言うものがなければ、私は、いや、皆存在していない。

友人は、近所の女子が、すぐに男性についていってしまう
「淋しい危険」がある、と、憂いていました。

これはわたしにずっとつきまとう悪魔みたいなもので、
これでずっと私は悩み、自分の身体を呪ってきました。

未熟とはいえ、パーツ的には男子で、悲しいかな第二次性徴もきて、
大人の男性の身体へと発達していく一方で、心は全くそれに
追いついていませんでした。性的なことに一切興味のない私に、
いい子ぶるなと周囲ははやし立てたほどでした。
興味ないと言う次元ではなく、女子とおしゃべりしていて、
そこに異性としゃべっている意識は皆無でした。なのに向こうは
私を男子と思ってしゃべっている。かみあうわけがありません。
それが三十路をとうに過ぎた今でも続いているわけです。

いい大人のくせに。自分の身体をよく見てみろ。
エッチなことに興味がないだと?偽善者が!
子供の作り方も知らないのか?
ちゃんと性教育受けてないんじゃないか?

なじられる、なじられる。

あげくは、恋愛経験がないからだろ?エッチしたことないからだろ?

なぜそこまで辱めを受けないといけないのか。

今日に至るまで、私は女性と話していて異性と言う意識は皆無。
だけど、向こうは男性として意識してしゃべる。
ご飯一緒に食べに行きたいな、と言えば警戒され、
体調を崩したと聞いて心配で見舞いの手紙を書けば、
彼氏がいるからと迷惑がられ、、、母に、どうして?
心配だから手紙書いたのにどうして?とたずね、母も困惑していた。
おこちゃまのつもりか?と言われたけど、まさに、身体は大人だけど、
そう言う大人の事情など分からない、性と言うものがわからない、
子供のような大人なのです。

あなたが望む望まないに関係なく、一応、男性の身体。
そのことに気付いた時、自分への憎しみのはじまりでした。

なんだかんだいって、男性が性的欲求を募らせ、
その欲望の犠牲になるのは常に女性。
「望まない妊娠」と言うリスクを常に背負う。
ただでさえ、生理と言う苦しみが女性にはある。
男性の性には、痛みも、リスクもない。快楽としてとらえられる。
そのためか、あとをたたない、性犯罪の数々。

売り手がいるから、買い手がいるのか。
買い手がいるから、売り手がいるのか。

買い手がいるから、売り手がいるように思えてならない。

性が商品化される。立ち並ぶ風俗店。
男性雑誌に性はつきものだ。

気がつけば、私は男性を嫌悪し、軽蔑さえしていた。
かといって、人に矛先を向けることができない私は、
男性の身体である自分を一番嫌悪した。
自分で自分を憎み、嫌悪し、自分で自分を軽蔑した。

自分とはまったく関係ないところで、テレビを通して伝えられる
性犯罪のニュースを目にした夜は、お風呂に入ることができない。
なぜなら、自分の裸体を自分で見て、自分への憎しみから
自分の身体を傷つけそうになるからだ。
自分を殺してしまいそうになるからだ。
男性の身体だと言うだけで、自分も犯罪に加担したような気になって、
男性の身体と言うだけで、自分は死刑に値する人間だ、
と思うようになった。

どこまでも男性と言う性を嫌悪した。
と同時に、犠牲にされる女性に、私は心の中で土下座する。

女性として生きたいのに、生殖機能が女性ではないから、
生理がない。生理痛など、痛みを分かち合うことができない。
「生理などの痛みを知らないから女性になりたいなどと
軽い口が叩けるのだ」
そう言われた時、もう死んでしまおうか、と思った。

私が男性とみなされること、それは私にとって【死】でしかない。
まるでみんなから石打ちされ、半殺しになってもまだ生きてる、
みたいな。
いっそ、殺してくれ、みたいな。
私が男性にくくられるくらいなら、いっそ、死んでしまいたい。
それくらい、わたしにとって、男性扱いされることは、地獄でしかない。

健康保険証の性別欄に「男」と書かれているのを見るたびに、
死にたくなる。

男性は野蛮で獣だと思ってる節もあるのかもしれない。
その一方で、親しくさせていただいてる友人に男性は多い。
頭が混乱してくる。
そう、十っぱ一絡げにしてる私は男性にも心の中で土下座する。

結局、私はすべての人に心の中で懺悔する。

こんな私でも、寂しがり―だから、手を取り合って生きていける人に
出会いたいし、我が子がいたら、、、と思うことだってある。
でも私は、戸籍上男性で、女性として生きたくて、女性を好きになる人。
子供が欲しい、ではなく、産みたい人。
だから私の抱える悩みは千年たとうが解決しないでしょう。

私は分からなくなる。

あんなに赤ちゃんは可愛いのに、赤ちゃんを望むために、
セックスをしないといけない。そこがあまりにかい離してて結びつかない。
性的欲求があって、性行為をしないと、子供ができない。
男性が持つ赤ちゃんの種を女性の体内に送り込む、と言うと
聞こえがいいけど、どうしても、嫌悪感を持ってしまう私。
きっと思春期なのよ、と言ってくれた人がいたけど。笑。
だって、女性の身体に性的なものを抱いて、
いわゆるエッチな気持ちになって、セックスへと至る。
女性の体内で射精し、そして受精して、妊娠する。
その一連の行為を、わたしはどうしても、いやらしさがぬぐえなくて、
でも、性は汚いものではなくて、それがなければ、私は存在しない。
だけど、かたや、この性的欲求で、性犯罪は起きている。
だからどうしても、性はけがらわしいと思ってしまう自分がいる。

子供が大好きだから、我が子がいたらと思うけど、
性的欲求とか、エッチとか、そんなことはいらない。
神様がいるなら、なぜ性なんてものを作ったの?
いらんこと性欲なんか備えたから、
性犯罪とか売春があとをたたないじゃないか。

子供を望むパートナーのもとに、
目が覚めたら枕元に赤ちゃんが眠ってる、
そうだったらどんなにいいだろうと、思ってしまう。

だから、子供みたいなこと言うな、バカじゃないのか、
と言われるんだろうけど。

私は、性が憎い。

エロは素晴らしい、などと言うのを聞くと、私は性への憎しみが増す。
そしては必然的に、自分に刃を向けることになる。

だから私は、恋愛映画とか、恋愛ドラマとか、全く受け付けなくなった。
見ていると、自分が死にたくなるからだ。

女性になりたいと言った時、女性を楽と思うなと人は言った。
生理痛の苦しさを知らないで簡単に言うな、と。
それを知らないで女性になりたいと言ってることがどれほど苦痛か、
と本当は返したかった。

自分を女性と思っているのに、女性なら普通は経験する生理を
経験できない、申し訳ない懺悔の気持ち。
テレビで生理用品のCMを目にするたびに、ドラッグストアで、
生理用品の棚を目にするたびに、女性として生きると言いながら、
経験できなくてごめんなさい、と心の中でどれほど懺悔していることか。
目のやり場に困るとか、そんなじゃない、私にとって「懺悔」でしかない。

だから、布ナプキンの普及をされてる方に東京や福岡で出会った時、
私は、布ナプキンの良さに感動してどんなに実際に使ってみたいと
思っても生理がないから使うこと出来ないから、と自分の思いまで託す。
実際、布ナプキンはおしりの悩みに悩む男性や、排卵がなくとも、
防寒として活用されてるらしいですよ。

女性の性、生理はあんなに苦痛を伴うのに、
男性の性は、苦痛もリスクもなく、実際、「男性は快感だけでいいよね」
と言う女性の声も耳にしたことがある。
男性の快楽のせいでどれほどの女性が犠牲になったか。
性なんてものがこの世になければ、女性専用車両も必要ないし、
痴漢やレイプにおびえることもない。
だけど、この世に誰ひとり存在しないことになる。

でも、ちょっと考えてみてください。
自分が男性と言うことに一点の疑いもなければ、
問題ないのかもしれません。
男性の性に何の痛みもリスクもありません。
だけど、自分の身体が男性だと言うことで死にたいと思うほど悶絶し、
実際、自分の身体を傷つけている人だっている。
そう言う人にとって、男性の性は苦痛でしかないのです。
嫌でも、赤ちゃんの種は作られる。
でも、その男性と言う性は、快楽で語られ、生理のような痛みがなくて
ということにつながっていく。
どれほど自分の身体を憎んでも、生殖器が男性である以上、
生殖機能が男性であることの苦しみ。
そして、その一方で、女性ホルモンの作用か、女性としての身体もあり、
胸にほんとにわずかながらだけどちょっとふくらみも感じ、
服がこすれても痛みを感じ、ブラトップなどを買いに走るのです。
この男女混在な感じはどういうこと?

そんなだから、自分にとっては嫌悪感の塊である性をちゃんと受け止めて、
これはいやらしさでもなんでもなく、ただ純粋に、ちゃんと生殖の営みが
できて、子供をもうけていることに私は頭が上がらない。
ちゃらいカップルでさえ神々しすぎて、私は生物失格に思えてくる。

お前は子孫を残せないのか?
お前は異性に惹かれることさえできないのか?
お前のような人間がいるから、少子化になるんだ。
性別が分からないなんて自然の摂理にさからうな。

石でも投げつけられているような気にさえなってくる。

思えば、思春期の頃からそんな節はあったのかもしれない。
母が下着を買う時に、下着売り場の前で、ちょっと待っててね、
と言われた時に、すごーく損をしたような気になった。
可愛いな、とときめいてる自分がいた。
きものや浴衣も、男性ものには目もくれず、女性の華やかな
着物を飽きずによく見ていた。

思春期の男子として生きてる時でも、
女性の脚とか目もくれなかった。
クラスメイトはやれ美脚だ、バストがと男子は騒いでたが。
むしろ、女性として生きてる今の方が目が行くようになった。
完全に女性目線です。違う意味でほれぼれしたり笑。

あんなにきれいな脚になりたいな、とか、
ブラトップとか本当は意味ないくらいペッたんこだよね、とか、
あんな可愛い色の下着、いいなぁとか、
そう言えば、最近はカラータイツではなくて、どこもかしこも
黒タイツですよね…。
黒タイツは脚をきれいに見せてくれるらしいですが。
カラータイツを常用してる私にとっては複雑です 笑
それに、夏は暑いのでストッキングで脚をきれいに
見せられたらいいんだけど、ムダ毛の処理とか大変ですもんね。

そもそも、髭を隠せないのもつらいざんす。

多目的トイレがある時は多目的を使っているけど、
車椅子の方が待ってるかもと思うと、化粧直しもできないし、
化粧直しなら女子トイレの方が心おきなくできるけど、
女子と思ってもらえるか、警察にしょっ引かれるのかなとか…

女性として生きたい。ただ、それだけ。
胸はって女性として、母として、生きたい。

ぎゅーっと手を握ったり、抱きしめられてるだけできゅんとなる。

そして、子供の小さな手を握ってるだけで、妊娠中の友人の
お腹をさすっただけでまるで自分のお腹が動いたように
嬉しくなって、きゅんとなった。

泊めて頂いた友人の子供に、仕上げの歯磨きをしてあげた。

初めて私に会うのに、素直に、私の膝を枕にして、口をあけて
待ってくれてる姿にきゅんとなった。
歯磨きしてあげながら、つるつるぷよぷよのほっぺたを
何度も触ってはきゅんとなった。

ほんのちょっとだけ、お母さんになれた気がした。

私は女性として、母として生きたい…。

これら書いてきたことは、保健体育の教科書には載ってなくて、
セクシャルマイノリティはこの世にいない存在にされている。

生理とか避妊とか、それだけではない、
性は男性と女性だけではない、私でしか語れない性を語りたい。…

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