
女性は、しばしば花に例えられる。
かぐわしく美しい花。
多くを惹きつける。
けれど先日、ふと思ったのだ。
その花によって結ばれる実こそ、まさに女性自身なのではないか、と。
ひろがる香り。美しい花びら。甘い蜜。
どれもとても、魅力的だ。
けれどそれらは手段と言えよう。
(多くの)植物にとって、花の魅力は実を結ぶためにある小道具としての役割だ。
美しく飾り上げるためのメイクやファッション、魅惑的に香る香水。
世の中には、女性が花咲くための道具があふれている。
しかし、
多くの女性は実を結ぶことよりも花を磨き上げることに夢中なように見える。
美貌を得るための外科的手段であったり
若さを示すためのファッションであったり
整形級のメイクであったりetc...
実を結ぶためではない方法で大輪の花を誇ろうとする女性が多いように思えるのだ。
人は(出会った一瞬)まず外見で判断する生き物だという。
だから確かに、花を開くことは必要だろう。
けれど花が生き物(主に虫たち)を集めるのは受粉のため。
次に進むためには実が結ばれなくてはならない。
乱暴に言えば
実のない花とはつまり空ろな物体に過ぎない、とさえ言えよう。
なぜなら実とは、すなわち種
自身(を次世代につなぐため)の核だから。
核なくしては、そもそも花自身が生まれることもできない。
花に見えてもそれは造花に過ぎず、他を惹きつけるには物足りないものとなってしまう。
さて。
種を包む果肉。
花が実を結んだ次はこれが仕事をする。
生き物の糧となることで種を蒔くのだ。
みずみずしい甘さは花に似ている。
だが果肉の魅力はそれだけではない。
酸味も、苦みも、青臭さもある。舌触りやそれぞれ独特の匂いも、味わいの一つだろう。
それらが合わさり、個性となる。
もちろん、花にもクセの強い香りや外見のものはある。
ただ、それらは人を選ぶ。
味わいの個性のほうが(最初は戸惑われても)受け入れられやすい。と私は思う。
人にも同じことが言えるだろう。
奇抜なファッションやメイク、好みに合わない香りをさせている人は受け入れづらくても
性格や声に特徴があるのはどれも当然のこととして(むしろ個性として)受け入れられる。
そして
花も実も、存在するのは種があるため。
その人の核のためだ。
ここまで読まれた方は
『何だ、女性だけでなく男性だって同じではないか』
と思われたことだろう。
そう。女性だけではない、人間としてあるために種はあるのだ。
けれど花を経ての種の根付きは女性だけのもの。
あの華やかさ、可憐さ、清らかさ、妖しさ――それらを経て得た核は女を高めてくれる。
のちほさん
hattoさん