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「美というものは、時には生きる力を与えてくれるもの。」と教えてくれたわたしの師匠。…

「美というものは、時には生きる力を与えてくれるもの。」と教えてくれたわたしの師匠。…



最近あまり語っていない、私の根っこの部分である真面目なお話を、ちょびっと公開。

師匠であるリハビリメイクの第一人者、
フェイシャルセラピストのかづきれいこ氏。

先生の記事がニュースになっていて、シェアしたいと思います。
私がこの世界に入ったキッカケを作った方。ぜひ見て欲しいです☆

時事通信 <メイクで笑顔に>

当時わたしは19歳。
朝日新聞や情熱大陸で特集されていた先生の記事を見て感銘を受け、
すぐにサロンへ行きお客様となった私。

アトピーだった私は、メイクに救われた1人でした。
(昔はコンプレックスで、とんでもなく濃かったw 今が一番ナチュラルです。)

その救われた思いを多くの人に知ってもらいたいという想いから、
老人ホームや病院のメイクボランティアを始め、
学生時代にフェイシャルセラピストの資格を取りました。

ここまであっという間に流れるような展開で。

当時、実は就職先も決めていたのに、こちらの道を選んだんだ。

それからカルチャースクール、百貨店、病院、本社勤務、サロン店長などの現場で様々な経験をさせてもらいました。コールセンター、商品開発、お客様相談室でのクレーム対応まで。
本当にゼロからだった。
当時は最年少だったし、必死で経験をいつか糧にするんだとがむしゃらでした。
あの頃のノート達もいまだ大切に持っています。

お客様の中には、精神科や形成外科から来るお客様も多く、
ここでの経験は壮絶で、辛くて泣いてた時期もあったなぁー。懐かしいです。
今思えばわたしの修行の時でした。

あの頃があったから、今がある。

そして「美というものは、時には生きる力になる」ということを知りました。

久しぶりにかづき先生のお写真を拝見してすごく嬉しくなった。そして、当時アシスタントしていた時代からわたしも成長したなーと感慨深い時間となりました。

メイクというツールを使って、女性を美しくというよりは、元気にするメイクを学んだ時期。 だからメイクをすることで女性が美しくなり喜んでくださる姿を見るのは、生き甲斐でもあり
、わたしのライフワークだと思っています。




でもね。
私は、いわゆるメイクアップアーティストではありません。 「ビューティーコーディネーター」という肩書きも、枠にとらわれたくない!と当時Webで検索して、まだあまりなかった肩書きを7年前につけたんだよなぁ。

身体を壊してしまって、悔やみながら1年間地元にもどった27歳。
そして、諦められず。もう一度東京でがんばりたいと思い、
友人のネイルサロンの一角を借りてオリジナルのメイクレッスンをはじめたの。

ここからが私の再スタートだった。

いまはプロデューサーという立場として、美容をツールとして幅広く女性を美しく豊かにするコンテンツを発信しています。

コツコツ積み重ねてきた『今』。 当時、目指していた自分に近くなってる。もっともっと目標はあるのだけど。

これからは美容を通じた発信は変わらないけれど、
海外に行きだしてベクトルが増え、さらに他のツールが加わるだろうと最近感じております。
今年に入って毎月にアメリカにきていて。
来月は、ラスベガスのCOSMOPROFにて世界への挑戦もする。

さらなる未来にむかって、私もコツコツ頑張ろう!と誓ったのでした。

<リハビリメイクについて>
※リハビリメイクは、身体機能に損傷を負った人が社会に戻る前にリハビリテーションを行うのと同様、外観に損傷を負った人が社会に踏み出すために習得する技術という意味があります。 メイクアップを通して最終的に患者さんが自分の外観を受容し、社会に復帰すること、またQOL(Quality of Life)を高めることを目標としている。
外観を整えることで心が元気になり豊かになるのは、顔に悩みのある人もない人も同じこと。
メイクアップは自分の中から元気を引き出す最善の手段。



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