
あいかわらずどよんとしてて、いかんですね・・・。頭の中はぐるぐるしてるし、しゃべりだすと止まらないくらいなんだけど、ブログ書こうとすると、何も書けなくなる。書きたいことはあるのに…。吐き出せない苦しさ…。リコーダーの音色と共に届けられるものがある。そう信じて、リコーダー・アース・ブリッジは今年で10年目。だけど、結局、去年叩かれたように、私のやってることは価値のないことなのかも、いや、価値があると思っているのは私だけの、ただの自己満足なのか、とか…。Facebookなどを覗いていると周りはアクティブな人ばかり。すると、自分は何にも出来てない、何も築いてなければ、何も残せてない、私がいつも元気をもらうカフェ・スピタルにも足が遠のいていました。みな、元気でアクティブな人が多いから、私のような何も残せてない人が行ったって…すると、外に出ていくのにも恐怖が付きまとうようになり、お手洗いで発作もおこしました。男性用トイレを使うことに息苦しさすら感じるようになって実際に過呼吸もおこりだしたので、自分の中でジェンダーのこらえどころが難しくなってきた、自分をもう偽れなくなってきた感じです。実際、ジェンダーをのぞいても、発作で倒れることもあるので、呼び出しボタンがある多目的トイレを使わせていただこうかなと思ってます。車いすじゃないじゃないかともし批判されそうになったら、それなりに説明したいと思ってます。それにしても、女性用の化粧室と言うかパウダールームは新聞記事など見てると、もう癒し空間になっていて、正直うらやましいです。男性用トイレでチークの手直しなんてやってると私のなりもなりで、男性がトイレ間違えたと出てくこともあるようで、どちらにも属せない私。やっぱり私は変な人なのかな…。私は何も変わらない私なんだけど。こんな私だけど、ほんとに最近つくづく誰かと寄り添って生きていきたい。いわゆる「結婚」したい。嫁入り前の娘が女性に恋をするみたいな感じですが…。というより、私は人に恋してます。私にあったかい声をかけてくれるすべての人に、手紙を書いたら、本当に純粋にラブレターになるだろうし、みんな一人一人に「大好き!」って言いたい。心が冷えているせいか、手のぬくもりを感じたい。あなたの優しさが嬉しくて、涙出そうなほどうれしくて、握手通り越してハグしたいくらいそれくらい、優しさが嬉しい…。そんな、自分で言うのも恥ずかしいけどまっすぐな嬉しさをまっすぐ伝えられる人に出会って、手を取り合って生きていきたい。こんな私ですから恋愛のことなんてさっぱりわかりません。ただ、私はただひたすらにこれらを願うだけ。「人」に「恋」をし、「人」を「好き」になりたい・・・。来週、ついに誕生日がやってきて、33です。33なんてりっぱに家族を築いていてもおかしくない年齢。アスリートならば第二の人生の選択も迫られる。もう若くはないのかなぁ…。年だけとって何も残せてない私はやっぱり社会には邪魔な存在なのかな…意味があると思っているのでさえ思い上がりで私は何の価値もない…。演奏の声がかからないのはそのせいなのか…。暗黒面が手招きして、気がつけば自分を責めていました…。それを振り払うかのように料理に没頭しました。
初めて作ったチャウダー。
久しぶりに作った豚汁。
バレンタインが近いと言うことでクッキー。250枚も焼きました。ハッピーバレンタイン☆☆美味しい、おいしいと言って食べてくれる妹の顔を見ていると、ちょっと心がふわっとなった気がします。火曜日、立ち寄った黒崎のデパートで、去年飯塚の講演に来てくれた子が働いてて、ばったり会いました。近況を話すと私の本を買ってくれました。私を応援してくれてます。ありがたいことです。私はリコーダーとしゃべることしか能のない人間です。使い物にならない、落伍者、口ばかり偉そうに、子育てもした事ないくせに、先生でもないくせにしゃしゃり出るな、君なんかよりプロのアーティストはなんぼでもいる、しょせんたてぶえ少しでも活動を知ってもらえたらと働きかければかけるほど叩かれる…。確かに、リコーダーとしゃべりで活動してますなんてふざけるてると言う人は多いでしょう。でも当の本人はいたってまじめです。逆に落ちこぼれだからこそ、リコーダーとしゃべりしか能のない人間で、パニックも起こして社会に迷惑をかけてる人間だからこそ、人間の本質、それこそ人は私をきれい事だと揶揄するけど、苦しむことはきれいごとじゃない、みっともないとこばかりです。そこを伝える、みっともないかもしれないけど、苦しみ、葛藤の全てを包みかくさず伝える、そして、それでも生きていくのだと言うことを伝えたい。自身の障害の何が苦しいのか。ジェンダーの何が苦しいのか。いい大人がトイレに行くことすら銃で撃たれるような恐怖であること。だけど、それでも支えられて生きてること。社会にとって迷惑な存在かもしれないけど、それでもありのままの自分をキャンバスに描いて、表現して、命ある限り生きていきたいのだ、と言うこと。伝えることで少しでも理解が広がる社会になってほしい。そのためなら私はいくらでも恥をさらす。語る。演奏する。バイト面接で、こいつは使い物にならんね、とこそこそ耳打ちされ、ため息つかれるくらいなら、恥くらいなんぼでもさらす。だってこんなダメダメな私でも全身全霊で生きているのだもの。実は今の社会に一番欠けているものかもしれないと思うのです。伝えると言うこと。伝えられたメッセージを聞くと言うこと。何か建物が建つわけでもない、壮大なプロジェクトが動くわけでもない。だけど、「伝える」ことのエネルギーは地球をも動かす。それくらいに思ってます。暗黒面を振り払い、何とか前向いていきたい。路上ライブから企業研修まで何でもお申し付けください。子育て、教育、福祉、ジェンダー、エコ、メディアリテラシー、街づくり。体験から大いに語りたいと思っています。たとえば、商店街と街づくり、コミュニティについて、論理は語れないかもしれません。だけど、自身が商店街にどれだけ育ててもらったかは私、いっぱい語ることができます。そんな一つ一つのエピソードを次世代に伝えていく。積み重ねていく。それがこれからの時代に求められていくことなんだと思います。様々なスタイルでのリコーダーライブ、リコーダー教室、慰問演奏、出前授業、子育て講座、人権研修、教職員研修、社員研修。メッセージも子育て、福祉、教育、エコ、ジェンダー・性、メディアリテラシー、ネットの活用、自身の経験からパソコンの扱い方も教えることができる部分もあるかも。頭の中でひたすらぐるぐるしているので、何か形になればいいなと思ってます。もがけばいいってものでもないし、もどかしい日々をすごしておりまする。ぼちぼちですね。そんな私が今年実現させたいことがあります。それは、個展を開いてみたい、と言うこと。リサイタルなんて私のつたない演奏ではできないかもしれません。絵心もない私。それでも何か残したい、と、体験を本にまとめました。そして、毎月心の赴くままに書き綴った五行詩は40篇を超えました。自分で撮って写真を組み合わせたポストカードも40種類を超えました。それで、このポストカードの個展を開けたらいいな、と思っています。そして個展とともにささやかな演奏会も合わせて…。今年、五行詩は50篇を越えます。詩集を作れる時が来たらいいなぁ・・なんて夢見たりもしてます。来年10周年の区切りを迎えます。何か形を残せたら。ただ演奏するだけでなく、個展とともにささやかな演奏と言うのは実現したら素敵だなと思いますし、新たな活動のスタイルとしていけたらとも思っています。リコーダーの音色と五行詩ポストカード展実現させたいなぁ…。浮上に時間かかってごめんなさい。あと5日でやってくる私の誕生日。はやく笑顔になりたい…。


コメント(0件)
※ログインすると、コメント投稿や編集ができます