
「生きると言うこと」/電波と心電図
2012/2/7 14:24
久しぶりに、ニュースのソムリエです。
大分県での2歳の子の行方不明事件。
誰かに誘拐されてなきゃいいけどと思っていたら、まさか母親が逮捕されるとは。
だって、最初、捜して下さいと奔走してたし…。
お子さんが障害を抱えていたとのこと、やむにやまれぬ事情はあったかもしれません。
叩くのは簡単です。
だけど、
だけど、
擁護もできません。育児ノイローゼを前面に出し、まるで擁護ともとれる報道をしている
局もありました。
私は5歳までの命と言われた命ですから、母親を思う時、身につまされます。
それ前提で書きます。
だからこそ、許せないと思うんです。
今、容疑を否認してます。
ただ、「帰ったら死んでいたので動転して捨てた」って、もし言うとおりだとして、
まず帰ってぐったりしてる子を見て、死んでると思ったの?
息してないと思ったとしても、一縷の望みで救急に電話しないの?
それでどうして「遺体遺棄」ってことになるの?
遺体は白骨化していたそうで、そんな状態になってるのに、遺棄したまま、
日常生活を送ることに、そして、何もなかったかのように「捜して下さい」と
走り回ってたの???
きれいごとなんて言いません。
そりゃ、この子と一緒にいっそ死んでしまいたい、と思うことはあるでしょう。
うちの母も、点頭てんかんの、この先長くも生きられず、医師にさじ投げられた私と
生きることに絶望し、死も考えたそうです。
だけどね、自分の手であやめるなんてとてもじゃないけどできないって。
だから雪山で眠るように死のうとか考えてたって。
一緒に、同時に死ぬんだ、って。
先に子供を殺して、なんてできなかったって。
「この子と一緒に死にたい」って言うのと、「殺す」と言うのじゃ違うと思うんです。
みんな頑張ってる、なんて私も言われたら嫌だから言いたくないけど、
育児ノイローゼで殺したということがまかり通るのなら、今、障害の子を抱えて
懸命に育ててる多くのお母さんたちはどうなるでしょう。
一番、伝えたいこと。
お子さんに障害がある、と告げられたら、真っ暗になるかもしれません。
だけど、だけど、こんな事件がやまなければ、
障害のある子は生きることを許されない社会になってしまいそうな気がするのです。
水俣を訪れた時の一枚の写真を思い出します。
父親と笑顔で写る娘さん。成人の晴れ着で満面の笑顔。
だけど、その後まもなく短い命を閉じました。
壮絶な人生だったでしょう。いい人生だったなんて言えないかもしれません。
だけど、親子とも満面の笑顔なんです。
お父さんはきっと「生まれてきてくれてありがとう」って思ってるんじゃないか、
それくらい、素敵な笑顔でした。
どんなハンデがあろうとも、生まれてきちゃいけない人間なんていない。
生きてちゃいけない人間なんていない。
生まれる前に子どもに障害があると産むか、おろすかの決断はここの決断なので
何も言えないけど、だけど、あまりに悲しい。
今の社会って本当に助けあいの社会なんだろうか。
その根幹にかかわる事件だからこそやっぱり許せない。
どんなに障害があろうとも、生まれてきちゃいけない人間なんていない。
生きてちゃいけない人間なんていない。
私は自殺未遂までした人間なので、偉そうなことは言えませんし、正直言って、
自殺する人を叩くことなんでできない。それどころか、死にたいと思う人の気持ちも
分かるの。
だけど、結果として子は亡くなり、母親は生きてて、動転して遺体を放置したって。
そして雑木林で遺体が見つかり…。
他人ごとじゃないと考える事は大事。
だけど、「私も虐待してしまうかも」と思わないで。
虐待してもいないのに、そう思ってこわごわ育児するのってつらいし、子供にそれって
伝わっちゃう。自信過剰と思われたっていいのよ。
わが子のことはお母さんが一番よくわかってるんだから。
この子を私はとっても愛してる。
その気持ちを持ってれば、虐待するかもなんて考えないで、その気持ちのままに
一杯愛を注いであげて。
子育てしてないのに偉そうにごめんなさい。
迷惑ばかりかけてる子供の立場代表で声を大にして言いたかったから。
絶望せずに育ててくれたから、今の私があるんですもの。
*******
さて、話題をもう一つ。
最近気になったもう一つの本が、
「さよなら、ありがとう~FMラジオ局の音が消える日」
しゃべり手のはしくれの私でも衝撃の一冊です。
「停波」って聞いたことありますか?
こんなことあっちゃいけないの、ほんとは。
産声を上げたラジオ局はいつまでも続いていくもの、であってほしい。
これはフィクションだけど、実は実話に基づいています。
2010年に、Radio-iが停波、つまり放送を完全に終了したのです。
ラジオ局の閉鎖です。
コミュニティでもない、民放ラジオ局としては戦後でも初の出来事でした。
日々当たり前のように流れているラジオがその日を境に「砂嵐」になる。
その、壮絶な小説です。
しゃべることはもちろん、当たり前に有るものが当たり前でないこと、
等身大の自分でいること、色々思い、涙があふれました。
「愛とか夢とか希望とか、そーいう大事なものってどれも見ることも触れることも
できないですよね。でも感じる事は出来ちゃう。ラジオってそういうものに一番近い
ものだと私、思うんですよ。ラジオって、みなさんの耳に一旦触れた途端に消えてしまう
はかないものですけど、だからこそ皆さんの心に触れさせてもらえた」
私に私の人生そのものです。私の生きざまは今はやりの地上デジタルテレビじゃない。
ラジオなんです。
放送=送りっぱなしかもしれない。
だけど、停波したくない。
震災の時、30分だけテレビ局の放送が途絶えた局がありました。
ぴーっと鳴り響く音はまるで完全停止した心電図のようだった、と。
放送が死んだ、と。
私の電波はいつかは「停波」するのだけど、それまではよかったら周波数合わせて
もらえたら幸せです。
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