
いち被災者として
2012/3/11 13:26
いち被災者として残したいこと、忘れてはいけないことを書きます
3月11日、私は大学で教員採用試験の勉強をしていました
突然強い揺れが襲い、机の下にもぐりこみました
数十台の携帯からは警報が鳴り続け、友人はパニック状態。
机からはマーカーや教科書が落ち、体にぶつかりながら床に散らばりました。
そして、すぐに停電。
床に座り込んで机の脚を掴んでいても、体は床を滑るように大きく揺さぶられました。
揺れが収まり、何も持たずに外へ避難しました。校舎の壁、天井にヒビが入っています。携帯を握っていた友人のワンセグで海岸に200~300人の遺体という報道を耳にしました。頭が真っ白です。状況が飲みこめません。
ワンセグによると、私の実家のすぐそばまで津波が来たとう報道が。
家族と連絡が取れません。絶望でした。
そのうち雪が降り出し、防寒着を着ていない私たちは非常用の毛布に数人でくるまっていました。まだ校舎には入れません。
交通網は遮断され、自衛隊が出動したという情報があり大学の体育館に泊まることになります。
大学の食堂に残っている材料で炊き出しを行い、おちゃわん1杯分のお米を4人で分け、2リットルの水を8人で分けました。
大学の職員の方々が荷物を取ってきてくださり、携帯で家族に連絡しました。
回線はパンク状態でつながりません。充電が切れる前に、連絡先を手帳にメモしました。
公衆電話が無料になり、大学に2つしかない屋外の公衆電話に並びました。1回の電話に3時間並びます。それでもつながりません。寒さで手足の感覚がなくなりそうになっても、燃料がないので暖房はありませんでした。
そのうち携帯の充電も切れました。
大学に2泊しました。近所の住民の方も避難に来られ、体育館は人でごったがえし状態。
情報を求め歩いていると、新聞配達の方に会い、1部購入できました。
初めて見る情報です。町は焼け、津波で家が流される写真が目に飛び込んできます。
すすり泣く友人に何も言葉が出てきません。私だけでなく、まだ家族と連絡がとれない友人ばかり。一気に不安がこみ上げてきました。
電車やバスが復旧する見込みがなく、このままでは帰れないと思い、大学職員に私たちの連絡先を渡し、数人で歩いて帰ることを決意しました。
携帯充電サービスに立ち寄り、15分充電していただきました。
充電が終わるまで、設置されていたテレビを見ました。
このとき初めて、今起きている災害の大きさを知りました。
急に怖くなり涙がこぼれました。
開いているコンビニやスーパーに並び、とにかく食料を買いながら6時間歩いて帰りました。
家族・実家ともに無事でした。
ペットボトル1本のために30分並び、缶詰1個のために朝6時から3時間並びます。
寒さで足の指の感覚はなくなっていました。
生きるのがこんなに大変だとは思いもしませんでした。
@コスメでこのような重い話を出すのは場違いだと思っていましたが、自分の中で風化しつつある震災の記憶を留めておきたく、記事にしました。
まとまりが無く、ただ記憶を整理した形になりましたが、いち被災者に起きた現実として受け止めてください
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