

北斗晶さんのブログが更新されてますね。
ワタシ、北斗晶さんが大好きでブログも読者登録してまして、癌の告白ブログをちょうどアップ後すぐに美容院で読みました。
いや、もう泣きそうで困った。
すぐに隣のドラえもんに渡して読ました(強制)。
後で、「泣きそうになって困ったよ。あのタイミングで読ませないで」と言われたけど、私も泣きそうだったので道連れ作戦(笑)
その次の日は川島なお美さんの訃報。
あのやせ細ってしまった記者会見から半月の訃報で、どれだけの精神力と女優根性だろうって感動すら覚えました。
ワタシなら長そでや体のラインが隠れるドレスにするだろうに、堂々としたドレス姿で当然話題になるのは分かっていたはずなのにね。
彼女のプロ根性が見えた一瞬でしたね。
最近の相次ぐ悲しいニュース。
健介さんや鎧塚さんの言葉にも涙・涙・・・です。
北斗さんも川島さんも人徳があってこそ、あれだけの励ましやお悔みがあるんだなって思います。
一生懸命生きて、一生懸命誰かのために力を注いできたからこそだよね。
北斗さんの術後のブログを読んで、是非、元気な姿をまたTVで観たいですね。
待ってます!
私の父は、私が22歳の時に肝臓がんで死去しました。
お酒を飲めない父が肝硬変になり、肝臓癌を併発し、入院した時には余命3ヶ月宣告の末期癌。
3か月待たずに亡くなりました。
幸いにも肝硬変で水がたまっていたので、痛みがほぼなく苦しみもなかったようです。
手の施しようもなく、家で過ごしたいと思い一時退院をして翌日には体調が急変して再入院。
私が最後にお見舞いに行ったとき、機嫌が悪かった私は一度病室に行ったもののすぐにロビーで待っていて、
最後に帰る際に父が笑顔で「またね」と手を振っているのに、機嫌が悪いままロクに顔を見ないまま帰りました。
その数日後に会社に母から病院から危篤の連絡があったと電話があり、急いで病院に向かいましたが既に父は亡くなっていました。
私が一番に着いたんだけど、なんか医師にお礼を言いながらボロボロ泣きました。
正直、泣くなんて自分でも驚いた。
お葬式でも泣きすぎて、正直あまり覚えていないくらい。
父は若い頃、東〇のニューフェース第一期生だったので容姿は素晴らしかったです。
私がハーフ顔と言われるのは、父に似ている部分が大きいのかな。
元々おぼちゃま育ちで、苦労知らず。
しかも、俳優なんて浮ついたことをしたため勘当された父。
俳優も数年で辞めたようですが、まぁ生活能力は低いわけです。
母にもいっぱい迷惑や苦労を掛けたわけです。
初孫の姉は母方のおじいちゃんにとっては初孫(姉妹は全て戦死しているので)だったので
とても可愛がってもらっていましたが、2番目の私はそうでも……(笑)
不憫に思ったのか、父はとても可愛がってくれましたが、大人になるにつれ父と確執が出来てきた私。
色々とありましたが、そこは割愛。
そんなんだから、自分が泣くなんて思わなかった。
でも、最後の言葉や態度をずーーと後悔することになりました。
遺品整理の時に、メモ帳に書かれた遺書のようなものを見つけた時にも。
走り書きされたメモには、懺悔や私との小さい頃の思い出や母を大切にしてほしい事が書かれていました。
なぜ、最後にあんな態度だったんだろう。
どうして、笑顔でお別れできなかったんだろうって。
今でも、ずーーーと後悔してる。
大切な人とは、最後は絶対に笑顔で別れたい。
これが最後になってしまうかもしれないから。
どんなに喧嘩しても最後は笑顔で。
そう思うようになった。
人って、いついなくなってしまうかわからない。
大切な人を明日なくすかもしれない。
自分が明日いなくなるかもしれない。
だから、出来る限り笑顔で、と思っている。
という事で、タイムマシーンがあったら過去に行って、笑顔で別れてきなさいと自分に言いたい。
未来は、見たらつまらないからとっておくわ。
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