
十王堂(じゅうおうどう)は江戸時代、松本城下の東西南北
4つの入り口に魔除のためそれぞれ置かれていたそうですが
廃仏毀釈などにより現存しているのは
この餌差町(えさしまち)の十王堂のみということで、
これは意外と知られていないようです。
この十王堂の諸仏は市の重要文化財に指定されています。
立派な閻魔(えんま)大王さまの像はなかなか迫力がありますよ。

時は1590年代。
松本藩の初代藩主、石川数正と息子の康長が
松本城の天守を造って城下町を整備しました。
その時に、城下町の東西南北の入口、それぞれ十王堂を置きました。
十王堂は文字通り、十人の王。その親分が閻魔大王です。
この十王に、城下町を守る役割をさせたんですって。
閻魔様以下十王は、松本の城下町ができた時からずっと、
町と人々の暮らしを守ってくれた、ということになるんですね。
そしてつい最近、老朽化した
この餌差町(えさしまち)の十王堂が
町の人々の手によって新しく建てられました。
地域のみなさんにとって、この閻魔様はどんな存在だったんでしょうか?
老朽化したお堂を立て直すのは、町のみなさんの願いだったそうです。
この閻魔大王が市の重要文化財の指定を受けたことをきっかけに、
立て直す計画が進められた、とのことなんです。
…画像はお借りしました。
最後までお付き合いいただき
ありがとうございます。

餌差町(えさしまち)という町名は
ここに藩主の鷹の餌(小鳥)を差し出す役目の「餌差」を
置いたことに由来するといわれています。
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