
女性は男性次第で人生が決まると言われていますすが...
男性も女性次第で人生が決まるのではないでしょうか?
真田信之にとって、正室小松姫はその運命の女性と言えます。
「家康に過ぎたるものが二つあり、唐の頭に本多平八....」
と絶賛された徳川四天王の一人本多平八郎忠勝の長女が家康の養女となり天正14年に
真田信之に嫁ぐ事になったのです。
その小松姫にはじめて会った信之は、凛とした美しさと明るく聡明そうな姿に大変
驚いたとの事です。
「武勇に誉れ高いことはお聞きしておりましたが、私はそれだけでは良いとは思いません
何しろ殿方は面白みがなくては!それを確かめにご挨拶にまかり出ました。」
と小松姫が言ったという逸話があります。
信州上田城での徳川の大軍を破る事ニ度、大阪に陣でも家康を後一歩のところで追いつめた「真田」。天敵とも言えるその家を長久なるしめた「名将」にして「名君」こと信之
であるがそれを支えた正室小松姫を忘れてはならないのです。
小松姫は女丈夫で家康、秀忠にもはっきりとものを言う程の勝気な女性であり、関ヶ原合戦前夜、真田父子(昌幸、幸村)は石田方へ、信之は徳川方へと別れる事になった時、昌幸らが上田城へ引き上げる途中沼田城へ入ろうとしたところ、留守を守る小松姫は城門を閉じて、昌幸らの入城を拒否したのは有名な逸話となっています。
また小松姫は気性の激しい反面、賢明で細やかな愛情の持ち主でもありました。
関ヶ原合戦後、夫信之が昌幸や幸村の助命嘆願をした時、小松姫は実家の本多氏の力を
後ろ盾にして家康への懸命の執り成しをしたとの事です。
このように真田信之と添い遂げ、真田家の安泰と信之を支えて小松姫は元和6年(1620)
春、病気療養の為江戸から草津温泉へ向かう途中武蔵国鴻巣の勝願寺で亡くなりました。
享年48歳でした。
その時の夫、信之は「我が家から光が消えた」と大いに落胆したといいます。
遺骨は信之が菩提寺としていた上田市芳泉寺に、そして元和8年(1622)10月
信之は松代に移封になると松代に大英寺を建立、小松姫の御霊屋を移築しています。
その大英寺には戦装束の小松姫と夫信之の画像が仲良くならんで展示されています。
夫、信之の深いを愛を感じとる事ができ。。。
現代の小松姫になる決意を新たにする如意姫なのでした。


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