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起源は、きょうと2

起源は、きょうと2

永平寺口駅を降りてすぐのところにある、この赤レンガの建物。
京都電燈ていう昔の電力会社の変電所。じつは、これがえちぜん鉄道のルーツなんや。


戦前に京都から北陸にかけて電力供給をしていた会社、京都電燈が大正初期に福井での鉄道事業を始めたのが、いまのえちぜん鉄道の路線の始まり。

電力会社が鉄道の営業を始めるてのは結構あって、大手私鉄の京成もそうやし、
京阪電車も和歌山での電力事業を足掛かりにいまのJR阪和線にあたる阪和電気鉄道を立ち上げた。
ちなみに阪和電気鉄道は南海電車の路線となったのち国鉄に買収されて、国鉄分割民営化をへていまに至る。


その京都電燈やけど、大戦中の「戦時統制」によって会社は解散、電力事業はいまの「関西電力」「北陸電力」に譲渡、鉄道事業は新たに「京福電気鉄道」という会社が発足。


……ん?
まだ「えちぜん鉄道」の名前が出て来うへん、て?
いや、話はまだ途中駅やねん、到着までしばらくお待ちくださいやで。


いま新たに「京福電気鉄道」て会社が出てきたけど、これはいまもある鉄道会社で、京都嵐山を走る「嵐電」を運行してる会社や。
(Wikipediaより)


京福電気鉄道グループとして運行してきたえちぜん鉄道の路線は20年前、ちょうど2000年や、ある転機……というより「試練」を迎える。

永平寺口の駅から、福井方面を見る。
20年前、この先で列車事故が発生した。ブレーキが破損して電車が駅に停まりきれず、対向してきた電車と正面衝突、故障した側の電車の運転士が殉職することになったんや。

そしてこの事故から半年後、今度は列車行き違いをする駅で、行き違いを待たずに発車させて、また正面衝突事故が起こった。信号の見落とし、そしてATS(自動列車停止装置)の未設置が原因だそうや。
この2回にわたる事故は「京福電気鉄道越前本線列車衝突事故」と呼ばれてる。
当時はニュースでも相当に大きく取り上げられたはずや。


半年のあいだに2回も事故を起こしたことで国土交通省は次の日から電車を走らせることを停止させて、バスでの代行輸送、そして事業改善命令を出した。

しかし京福の財務体質は厳しく、国交省が要求する改善、車両や設備の更新を実行するほどの資金を捻出できないとして、鉄道営業の継続をあきらめる結果になった。

そしてバスによる代行輸送も、各所で慢性的な渋滞が発生して、とくに冬季は積雪の影響もあって、バスの時刻表は「あってないようなもの」状態、その影響は鉄道からの転換客だけじゃなくてマイカーで通勤する人にまで累が及んで、道路交通が機能不全に陥った。


そんな経緯もあって、やはり地域には鉄道が必要、ということで2002年に沿線自治体による第三セクター鉄道会社「えちぜん鉄道」が誕生して路線の譲渡を受けて、現在に至るというわけや。えちぜん鉄道やっと出てきたな笑


ちょうど夕方に乗ったから通勤通学客を多く見た。
でもこれを当たり前と思ってほしくない。
鉄道というインフラを整備、そして運用してくれる人がいるから、いまの生活が成り立ってるということを忘れたらあかんと思うんや。

ローカル路線の存廃についての取りざた、かつそれに伴う交通事情に関する問題については各地で議論されてるけど、ここは紆余曲折はあったにせよ、いちばんいい形で解決できたんちゃうかなと思うんやで。


そうそう、福井の駅で買ったカニの棒寿司おいしかったで。柚子の皮がポイント高い、もっと乗っけてほしい笑







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