
さらにその上に通路があるようや。

さてここ……



さて、この水路は、この先10kmちかくにわたって続いてて、行き着く先は、

幕末の動乱から明治維新を経て、明治天皇が東京へ長期におでかけされ(何:少なくとも京都民はそう思ってるらしい)、京都の地は荒れ、人口も減り産業も衰退してた。
そこで3代目京都府知事北垣国道が、京都の産業復興と近代化のために、灌漑、水運、上水道などに利用できるよう琵琶湖から水路を引く計画を起こした。この水路のことを琵琶湖疏水と呼ぶ。
……名前からして道路作りそうなんやけど(何)
1885年着工から5年かけて第1疎水が完成、総工費は125万円、当時の府の年間予算2年分。
ところで、水路はここで途絶えてる、ように見えるけど、そうではない。



そしてワイヤーを引っ張る動力は、



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