


実は、桓武天皇が長岡京に遷都した理由のひとつが、この地形にある。
奈良・平城京という土地は大きな河川がなく、当時の大阪の港に物資が届いても陸路で輸送するしかない。しかしここなら船で淀川をさかのぼって直接運べる。つまり交通の要衝やったということ。
水資源も豊富で、近隣の山からの湧水を市街地に流れ込むように設計し、下水処理に利用するということもしてて、当時としてはインフラ整備は高度やったらしい。
結果として東大寺などの仏教勢力の反発や天皇の身内の不幸の連続、飢饉や疫病などが重なり、都を流れる川の氾濫がとどめとなってわずか10年で平安京に遷都となったけど、もし何ごともなかったとしたら、交通の要衝やった地だけにもっと長く続いて、歴史の教科書は間違いなく書き換わってたやろう。
そして現在も、ここは交通の要衝である。それが大山崎JCT。

大山崎JCTは名神高速道路、京都縦貫自動車道、そして京滋バイパスの高速道路の交点となる重要なポイントで、さっきも言うたけど、そのカオスっぷりは屈指、大事なことやから2回言うてもた笑

ちなみに、JCTに入る前にトラップが用意されてるんやけど、それはのちほど。



もし光秀が先に天王山を押さえたとしたら両側を山と川に挟まれた狭い箇所が最前線に……まあそれでも戦力差はあるし負けやろなぁ笑
んじゃ、帰るために駅に向かうで。また歩かなあかんけど笑
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