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24、おまいり4

24、おまいり4

さて……もう着いた(笑)、まあ実際には30分ぐらいは歩いたんやけど。
山崎の戦いの古戦場跡。どうも高架橋の下みたいやけど、
上のほうに延びてるグレーのライン。京都縦貫自動車道の真下にある。すぐそばには日本屈指のカオスっぷりを誇る(笑)大山崎JCT、その南には上から桂川・宇治川・木津川という3本の川が流れてて、もう少し下流になると全部合流して淀川となる、というポイントなんや(ここ重要)。当時は桂川からいまの京都縦貫自動車道のラインに沿うように支流があって、それを挟んで明智・羽柴両軍が陣立てをしたという。


実は、桓武天皇が長岡京に遷都した理由のひとつが、この地形にある。
奈良・平城京という土地は大きな河川がなく、当時の大阪の港に物資が届いても陸路で輸送するしかない。しかしここなら船で淀川をさかのぼって直接運べる。つまり交通の要衝やったということ。
水資源も豊富で、近隣の山からの湧水を市街地に流れ込むように設計し、下水処理に利用するということもしてて、当時としてはインフラ整備は高度やったらしい。

結果として東大寺などの仏教勢力の反発や天皇の身内の不幸の連続、飢饉や疫病などが重なり、都を流れる川の氾濫がとどめとなってわずか10年で平安京に遷都となったけど、もし何ごともなかったとしたら、交通の要衝やった地だけにもっと長く続いて、歴史の教科書は間違いなく書き換わってたやろう。


そして現在も、ここは交通の要衝である。それが大山崎JCT。
あ、見えた見えた。JCTに流れ込む案内表示。
大山崎JCTは名神高速道路、京都縦貫自動車道、そして京滋バイパスの高速道路の交点となる重要なポイントで、さっきも言うたけど、そのカオスっぷりは屈指、大事なことやから2回言うてもた笑
狭い用地かつ東海道新幹線がすぐそばに走ってて、複雑な分岐やアップダウンを余儀なくされる、いわゆる「初見ごろし」な設計笑
ちなみに、JCTに入る前にトラップが用意されてるんやけど、それはのちほど。


さてしばらく歩いて……さっきの大山崎JCTから名神高速道路を少し西に進んだところ。
大阪方面行きは左にカーブして阪急京都本線とJRをまたぐ鉄橋をわたるとすぐ2本連続でトンネルに入る。大阪側が梶原トンネル、京都側は天王山トンネル。
ここで、山崎の戦いに話を戻して、布陣を見てみると、ポツンと山の上にいる部隊(羽柴秀長、黒田官兵衛)がある。戦況をうかがうことができる山のところを羽柴軍が先に押さえたことで、戦力の差もさることながら光秀の負け戦は決したと言われてる。この秀長・官兵衛が布陣したところが天王山。高速の鉄橋の向こうに見えた山のことで、いまでも野球の首位争い直接対決などで慣用句的に用いられてる地名なんや。

もし光秀が先に天王山を押さえたとしたら両側を山と川に挟まれた狭い箇所が最前線に……まあそれでも戦力差はあるし負けやろなぁ笑



んじゃ、帰るために駅に向かうで。また歩かなあかんけど笑








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