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廃盤にまつわる思考

廃盤にまつわる思考

絶版とか廃盤って悲しい。
それがお気に入りのものだったとしたらなおさら。
お気に入りのアイシャドウだったり、大きく見たらブランドだったり。
それはそれは悲しい思いを、30年ぐらい生きてきたらそれなりにしてきたわけで。

この9月30日で、ボーテドコーセーの国内販売が終了するのを1年ぐらい前に聞いて(もっと前だったかしら?)ショックを受けた。
好きだったから、そりゃショックだった。
好きだったインウイIDがブランド消滅すると聞いた時は、海外に住んでたのに日本に帰ってきて愛用していたものを買いだめした。
あとからブランド最終日のカウンターはデパートの閉店時間を過ぎてもお客をさばききれなかった話を聞いて
ああ、自分が愛したブランドは多くの人に愛されていたんだな、と感慨深いものがあった。
お気に入りだったsuqquのリップカラーは気づいたら自分の使っていたその色だけ廃盤になってて、その後あっという間にモデルチェンジした。
「この色ステキ!」と思ってポチったネイルカラーが実は廃盤色だった、とか。

名残惜しい、とかもったいない!とか、なんでどうして?っていう気持ちが付きまとうけど
世の中も自分の周りも絶えず時間は流動していて、状況も環境も絶えず変化し続けている。
その中で新しいものを見つけ、人の心も移ろいゆくのだろうなぁと漠然と思う。
それがいい方向に転ぶか悪い方向に転ぶかはまた別の話で、いい方に転べば受け入れられるかと言うとそうでもない。
受け止め方は十人十色。あきらめるしかない時も、多々ある。
物質的な変化は確かに常に流動的で、変化し続けているかもしれないけど
不変的なものだってある。
人の美醜は不変じゃないか。
自分の好きなブランドが無くなったからって、そのブランドを無くさないでくれと訴えるのは別にいいけど、しがみつくのは美しいのかな?
自分の思う通りにならないからと非難するのは、美しい人がすることなのだろうか。
美しさの判断基準はある程度変わるだろうけれど、醜さの判断基準はあまり変化しない気がする。
美しさを求めて、その事実にすがりついてしがみついて執着する姿は、美しいだろうか。

「無くなる」というのは「新しいを見つける」チャンスだと思いたい。
ポジティブに現実と向き合いたい。
残された「廃盤」や「絶版」と楽しく付き合いたい。
変化はチャンスだ。と、思いたい。
廃盤や絶版という「無くなる」現実が残してくれた最後の一瞬を美しく楽しく過ごして、お別れしたい。





essieの新色はいつ日本で発売になるのか調べてたら
essieが昨年ロレアルファミリーに加わったことで人気色(日本でのね)がジャンジャン廃盤にされてる話を小耳にはさんで
世の諸行無常ぶりを痛切に感じこのようなことを思いました。

けど、考え方を変えると、ロレアルファミリーに加わったということは
今後の日本での輸入販売の総括を日本ロレアルが担当することになるのかしら?
それなら、それはそれで入荷の時季もしっかりはっきりわかったり廃盤情報なんかも親サイトを見て色の名前を検索して出てこないから廃盤、とか
そういうイメージで考えなくてよくなるのかしら?とか
できるだけポジティブに考えたい・・・。
それに、大手メーカーが親になるってことは、日本での人気色が本社に上がりやすくなるってことでしょ?
そうするとアメリカで廃盤になっても日本では残る、ってことが起きたりする可能性がまだ残ってる、ってことかな、とか。

ポジティブシンキングにも程はありますが
今一番思っていることは、essieの秋コレクションの現物カラーを早くこの目で確認したいってことです。



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