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12年経ちました。

12年経ちました。

みなさま、こんにちは~♪
今日の富士山麓は端から端まで雲のない真っ青な空です。
ということは…放射冷却で、怖ろしい寒さが。
まあ、日本全国からすると屁の河童くらいなのかもしれませんが、
定住者にはこたえる寒さです。
もちろん、こたつインです。
みなさまも、どうぞあたたかくして
@コスメにご参加くださいね~(^^)/

今日はしみじみと私事のダークな話ですので、
お嫌いな方はスルーして下さいね(_ _)

先日、たっぷり美味しいお写真をお見せした法事から約1カ月、
12月16日は父の命日です。12年前、70歳になる前でした。
膵臓癌で、わかった時から3カ月、あっという間でした。
最初は自宅から100Km離れた西部の病院で、
ヘルニアの手術のつもりが、
CTを撮ったら発見されたのでした。
ステージ4、手術は不可能な場所でした。
当時は告知がされ始めた頃で、
父も入院時に告知に丸をつけたため、
きちんと説明を受けました。

告知の意味、わかっていなかったんだと思います。

担当の先生は告知の後も、父の枕もとにひざまずいて手を握り、
「治してあげられなくて、ごめんね。」
とおっしゃいました。
父はその後もずっと先生を信頼していました。

しばらくして、担当の研修中の看護士さんが付いてくれました。
まだまだ若く、可愛い方でした。病室に花が咲いたようでした。
その方が、ある日、ノート片手に言ったのです。

「○○さん、治らないって、どんな気持ちですか?」

父は絶句して、苦笑いしていました。
二人になってから、
「お父さん、若いから、仕方ないよ、許してあげてね」
と、言いましたら、父も黙って頷いていました。

私は不思議と怒りはありませんでした。
でも、父が亡くなって、
ああ、一緒に怒ったり泣いたりしてあげればよかったと、
自分の至らなさを悔いたものです。
もっと、我慢させないで
気持ちに寄り添ってあげれば良かった。

怒るでもなく、泣くでもなく、淡々と時が過ぎる病室は
今思うと、白くて静かな墓のような空間でした。

その後、治療することのなくなった父は
富士山が見たいと自宅に戻り、それでも、と
埼玉の病院で抗がん剤を患部近くに送る
ポンプを入れこむ手術を受けて、
術後肺炎でなくなりました。

最後は、きちんと送ってあげられました。
「お父さん、ありがとう」って。

12年、いろんなことがありました。
父が目に入れても痛くないほど可愛がった娘達は成人し、
13回忌も済みました。

それでも、こんな晴れた初冬の日は、車を運転していて
涙があふれる時があります。
あの時、擦り切れるほど聞いた平井堅のCD、
それから聞けなくなりました。

富士山、昨日の日暮れ前ショットです。
茶畑沿いの道端にしゃがみ込んで、
絶対あやしいおばさんでした。

振り返ると、日暮れの瞬間。
今日も日が暮れますね。

暗い話でごめんなさい。
ここまでお付き合い下さって、ありがとうございました。





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コメント(47件)

  • こちらもネクサス不調で、書いても書いても書き込めず、遅くなって申し訳ありませんでした(_ _)

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    2013/12/19 22:47

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  • 院長さま、ありがとうございます(_ _)弟様、若くして旅立たれてしまわれたのですね。二年、まだ日も浅く、哀しみも癒えないことと存じます。本当に、遺された者は不条理に怒り、深く哀しみ後悔に苛まれるのです。でも、自分が逝くのだったら、と思うとやはり前を向いて笑って歩いて行って欲しいと思うのです。

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    2013/12/19 22:46

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  • 私も二年前、12月27日に30代で、くも膜下出血で 急死した弟の命日が 近づいて来ました。もう少し気持ちが 整理が出来たら、こちらに当時の事アップしてみようかと思います。未だに、どうして死んじゃったんだろうって、涙が出て来ますが、前を向いて進む事が 供養になると信じて、頑張ります。

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    2013/12/19 11:55

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  • KOKO姉さん、ありがとうございます(_ _)KOKO姉さんのお父様もステキな方だったんでしょうね。父は家族には厳しい人でしたが、義理固くひとを馬鹿がつくほど大事にする人でした。KOKO姉さんのお父様のことも大好きになって一緒ににこにこ私達を見守っていてくれると思いますよ\(^-^)/

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    2013/12/18 08:50

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  • 富士山の日暮れ前ショットがとても雄大でキレイです。私の父は人と話すのが大好きでした。しょひーさんのお父様と天国でお友だちになって楽しくお話してくれたらうれしいな・・・と記事見て思いました。年令や癌が見つかった時に手の施しようななかった事などなどの経緯・病院での出来事とても父の境遇と似ています。

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    2013/12/17 23:59

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  • はるとんぴさん、ありがとうございます(*- -)(*_ _)ペコリ はるさんのお母様もきっと見守っていてくれますね。父と娘って、なかなか言葉で繋がるの難しいですよね。ちょっと照れ臭くて。でも、言葉掛けて差し上げたら喜ばれるんじゃないかしら。私も生きてる母には厳しいかも?反省です。

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    2013/12/17 09:26

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  • dezidezivonvonさん、ありがとうございます(_ _)父は穏やかに私たちを見守っていてくれると思っています。ホントですね。みんな向こうへ行くんですから。父が先に行ってくれたことで、怖くなくなりました。その分、今を精一杯生きる。そう決めました。

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    2013/12/17 09:20

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  • りーぶらさん、ありがとうございます(*- -)(*_ _)ペコリ父は友人をとても大事にする人でした。義理がたくて、目立つことは好まず、地味な仕事を買って出て皆の世話をする方が好きでした。りーぶらさん、年は関係ないですよ、その時のいろんな想い、大事な宝物です。りーぶらさんはたくさん宝物持っていますね

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    2013/12/17 09:13

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  • 続)実家は小さな工場をしてるので、母は父の替わりに仕事を回さなくてはならなくて、父には私が付くことが多かったです。精一杯やったので悔いはないつもりでしたが、親を亡くして悔いない子供はいませんね。友人達を見ていてもそう思います。悔いても親は喜ばないと、親の立場でも思います。ただ、家族の幸せを祈ると…。

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    2013/12/17 09:02

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  • akachantさん、ありがとうございます(_ _)葬儀後、母は遺された手紙とカラオケの録音されたテープに張り付いて来る人来る人に聞かせていました。けして仲のよい夫婦ではなかったのですが、子どものような母なので、保護者をなくした気持ちだったかも。私は哀しみが強いと蓋をしてしまうので、羨ましい時が…。

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    2013/12/17 08:54

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  • しょひーさんの記事で 普段言えない父にも 言葉にして言ってみようかあと思いました。 ありがとうございます わたしは母を亡くしてますがいつまでも見守っていると 信じてます しょひーさんのお父様のドクターとの出会いも運命ですね 感動します。 しょひーさんも前を向いて進んでる姿を空から見てくださってますね

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    2013/12/17 08:30

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  • ずっと一生懸命病気と闘ったお父様の気持ち、最後まで頑張って闘っているお父様の姿を見守り続けられた、しょひーさんの気持ちを考えたら…。言葉が出てこないです。お父様のご冥福をお祈り申し上げます。

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    2013/12/17 05:35

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  • →こんな若輩者がなにを言ってもですが・・・お父様ご立派です。しょひー様ご家族を富士山のように見守ってらっしゃいますよ、きっと♪夕日に照らされた富士山は一層きれいですね。記事にして下さりありがとうございました。

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    2013/12/17 01:27

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  • お父様ご友人が多かったとの事。皆が自然と集まってくるような方だったんですね。しょひー様のような明るい方なのではと思いました。祖父が亡くなった時夜中で間に合いませんでしたが、触れると温かくその感触が今でも忘れられません。その看護師の方は身近に亡くなった方がいらっしゃらなかったのでしょうね。→

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    2013/12/17 01:18

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  • 担当医の言動に胸が熱くなり、研修生さんの言葉に、少しドキっとしました。タグでお父さまの生前のお姿が目に浮かぶようです。素敵なお父さまだったのですね☆彡余談ですが、我が父が最後に母へ贈った歌が〔星影のワルツ〕だったそうです。なので今でもこの曲を耳にすると鼓動が早くなります。皆同じですよヾ(´-`*)

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    2013/12/17 00:52

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  • こんばんは。16日がお父さまのご命日とのこと。どのような1日を過ごされたのでしょう。13回忌を迎えてもなお、しょひーさんの心揺れる様子が未来の自分と重なり、なかなかコメを残すことが出来ませんでした。m(_ _o)m

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    2013/12/17 00:52

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  • ディズニーと犬さん、ありがとうございます(_ _)お父様の思い出、お辛かったですね。でも、親は子どもを赦すことが親の務め。もういいよって言ってくれそうな気がします。看護師でいらっしゃいましたね。どんな時も、もっともっとという思いが残るものですよね。本当に、今、精一杯生きる。それしかないのですよね。

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    2013/12/16 14:18

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  • Mint☆さん、ありがとうございます(_ _)今思うと、嵐のような3ヶ月でした。短いようで、ベッドの上の本人には永く辛い時間だったかもしれません。回りの方に支えられて、感謝の日々でもありました。残されたものが元気で暮らすことが、父の供養になる、本当にその通りですね。ありがとうございます(_ _)

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    2013/12/16 09:46

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  • ご病気で3ヶ月で旅立たれたとは、どんなにお辛かったか・・想像が出来ないくらいです。覚悟をされるにはあまりにも短い時間でしたね。 法事に集まって下さる方々とのご縁は大切ですね。お父様のお人柄が伺えるようです。お元気に暮らされることが供養になるのでしょうね。お優しいしょひーさんの人柄が感じられました。

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    2013/12/16 08:54

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  • ナチュラル娘さん、ありがとうございます。こんなにたくさんの方たちの悲しみを引き起こしてしまって、反省しています。ただただ、精一杯生きること。それを忘れないでいて欲しいと思うのです。亡くなった人たちの分も、しっかりと、生きていかなければと。辛いことも、悲しいことも、乗り越えられるように。

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    2013/12/15 23:24

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  • ごめんなさい。良い文章が見つかりません。ただ、ご家族を亡くされた時の気持ちは計り知れないほど、悲しかったと思います。お気持ちお察しします。 お父様、優しいご家族に囲まれてとても幸せだったと思いますよ。

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    2013/12/15 23:15

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  • marumua2013さま、遅れてコメントすみません。今、闘っていらっしゃるお父さまに寄り添っていらっしゃるんでしょうね。4年。大変な時間です。ご家族も長い間支えていらっしゃって、いろんな思いがあるんだと、お察しします。富士山、見ていると心が静かになってきます。

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    2013/12/15 23:04

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  • みなさまのお気持ちを引きずる形になってしまって、本当に申し訳ありません。それぞれのかけがえのないご家族への思い、ひしひしと感じます。美容の場で、こういう繋がりも否定的な方もいらっしゃるかもしれません。ただ、いろんな方のいろんな思いが繋がっていくことにひたすら感謝致します。ともかく一生懸命生きましょう

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    2013/12/15 22:55

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  • mi~ちゃんさん、ありがとうございます。母は、富士山を見てはおじ~ちゃああん!と絶叫します(頼む、やめてくれ…)あちこち見守る人だらけで父も大変です。家族って、つながっていてなんぼのものですよね。義父母さま、お元気で何よりです。mi~ちゃんさん、義父母様を思いやって、いつもお優しいと感心します。

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    2013/12/15 22:49

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  • irieな彼女さん、ありがとうございます。父は、もっと生きたかったと思うのです。葬儀が終わって、自宅で娘達と3人になってわあわあ泣きました。娘達には辛い時には死にたくなくても死ななくちゃならなかったおじいちゃんのことを思い出して、頑張って生きろと言いました。残されたものは一生懸命生きるのですよね。

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    2013/12/15 22:44

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  • 池住さん、ありがとうございます。人は、命あるものはいずれは死に向かうんですよね。みな平等なんです。ただ、精一杯生きたと思いながら死んで行けたらいいなと思います。お父さま、大事になさってくださいね。富士山、暮れ際にきらきら輝く瞬間が好きです。朝のスッキリした姿もいいですけどね。

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    2013/12/15 22:40

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  • babypinkmilkさま、ありがとうございます。遠く離れて、富士山を見たがった父親のせいもあると思います。厳しいながらも孫には極甘のおじいちゃんでした。もうダメと言われて娘達を連れて行った時、おじいちゃん!と呼ばれてかすかに目を開けました。セーラー服を見せたかった娘も、もう社会人になりました。

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    2013/12/15 22:34

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  • fumozouさん、ありがとうございます(_ _)大切な方のご不幸、大変でしたね。すぐに行けない辛さ、お別れしたい気持ち、本当にどうしたらいいかわからない時の、そのお言葉。嬉しいですね。そうなんです。思いは消えない、届くんですよね。もう、現世の身体を捨てて、自由にどこでも行けるんですものね。

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    2013/12/15 22:29

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  • ☆peony☆さんのお父さまも!17年ですか。まだお若い時に、辛かったですね。告知すべき方じゃない方から知らされるなんて、ひどい。父は告知の晩、一人置いて帰らなくてはならず、可哀想でしたね。富士山、悲しい記憶に…。私は亡くなって埼玉の病院から帰る途中にみた夜の東京タワーが忘れられません。

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    2013/12/15 22:24

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  • さらのすけさんも、ありがとうございます。こんなに膵臓の方が多いなんて驚いています。お母さま、7年ですか。まだまだ癒えませんね。私も100キロ、行ったり来たりでした。最後は集中治療室の床で寝てました。疲れきって小指も動かせなくなった朝でした。思い出すのが供養。ホントですね。いっぱい思い出しますね。

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    2013/12/15 22:17

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  • いとむつさん、辛いことを思い出させてしまって、ごめんなさい。お母さまとお別れできなかった、子供のいとむつさんの無念、わかります。私も育ててくれた祖母が心臓で朝亡くなっていて、18でした。同じように火葬場で暴れました。だから、父はこの手で送りたかったのかもしれません。ごめんね、悲しみが移ってしまって。

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    2013/12/15 22:11

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  • お父様もやっぱり富士山が大好きだったのね。富士山の懐でしっかりとしょひーさん達を見守っておられると思いますよ~我が家は、義父母は今の所元気で居ますが、いつどんな事になるか分かりません!一緒に笑え合えたり辛い気持ち等分かり合いたいと思いました^^ありがとう

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    2013/12/15 22:08

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  • お父様は最期、富士山の見える自宅にお戻りになり、ご家族に看取られて幸せだったのではないでしょうか。節目節目に色々な想いが込み上げてくるのは仕方ありません。その時はそれが精一杯できることだったのでしょうから。今回の富士山は、一層儚く尊く目に映る気がします。

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    2013/12/15 20:34

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  • 癌は怖い病気ですね。今は若い子でもなるから馬鹿に出来なくなっています。私の父は癌ではないですが心筋梗塞です。これも再発があるから怖いです。暗くはないです。私も考えさせる病気なのでいい勉強になりました。富士山は、いつみても綺麗です。

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    2013/12/15 17:40

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  • 続)という行為は渦中にあると難しいけれど、癌細胞を攻撃するという報告もあるそうだし、ステージ4でいらしたお父様に寄り沿っていらしたしょひー様の明るさが、お父様の「光」となったのではないでしょうか。「富士山」の夕日に染まる姿は、しょひー様とお父様を想って、これからは私にとりましても感慨無量になります。

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    2013/12/15 15:34

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  • 先生のお世話になり、最期を看取って戴きました。私達家族にとっては、その先生こそが名医でした。父が亡くなってから、葬儀を済ませ、帰りにみた富士山が綺麗でした。今でも、一人で夕暮れを見ていると、寂しく、切なくなります。長々と失礼しました。

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    2013/12/15 15:31

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  • 続)ご担当医の先生のように、寄り添って、お父様のお気持ちを温めるような愛ある表現がまだ、おできにならなかったのでしょう…。でも「白くて静かな墓のような空間」にドキッ…としました。実在の人物で今世界に広がっている赤鼻のクラウン(道化師)病棟に笑いを…という活動、って大切なのだな…と思いました。「笑う」

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    2013/12/15 15:29

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  • 続)病室の廊下で「よく見ておきなさい」と先輩医師が研修医さんに行っているのを、患者さんが聞いてしまうという場面がありましたが、そのうら若き看護師さんは「医療従事者」として、気持ちに寄り添おうと、知っておきたいと思ったのかもしれませんね。でも、そのやり方がノート片手に…は望ましくなかったですね。その

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    2013/12/15 15:24

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  • 生活を望みました。父は、余命3ヶ月と言われましたが、それまで持ちませんでした。癌だと告げたのは、医師でなくレントゲン技師でした。その後、病院を変えました。父の亡くなる前に、戸田旅行を家族で計画してましたが、その直前に病状が急転しました。父が、病院に入院する事を拒んで、幸い近所に、訪問看護の→続

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    2013/12/15 15:23

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  • こちらのお記事を拝見して(やはり…)と思いました。しょひー様が、おひとりでドライブなさってでも、富士山をお撮りになる背景には、心の聖域のようなものがおありなのでは…と感じておりました。私にも、そんな公園が2箇所あります。大切なお話をして下さってありがとうございます。芥川賞作家の南木佳士氏の作品で、

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    2013/12/15 15:21

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  • ↓続きです 思い出してあげることが供養だと思います。最後の日の朝 後ろ髪ひかれて会社に行った時のこと忘れられません。100km会社と家と病院と走って限界だったなぁと思い出しました。

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    2013/12/15 15:17

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  • しょひーさんのお気持ち、きっとお父様に伝わっていると思います。私も今年、身内、友人、お世話になった知人と立て続けに大切な人が亡くなりました。事情があり直ぐに会いに行けなかったのですがある方が「思いは届くよ」と言って下さいました。今はそう思っています。私が思っていれば心の中でいつでも会えるのだと^^

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    2013/12/15 15:16

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  • とても、他人事とは思えなくて、涙しています。13回忌済まされたのですね。今年2月に父の17回忌を迎えました。しょひーさまのお父様と同じ、膵臓癌で、真ん中の姉の結婚式の2日後が、バイパス手術日でした。貴重な症例だから、全摘出したい、という医者も居ました。父は、寝たきりで終わるより、人間らしい→続

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    2013/12/15 15:14

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  • 母が膵臓癌で亡くなって丸7年になります。3cmで見つかったのですが手術ができず2年でした。家庭的では決してなかったですが面白い母でモルヒネで麻痺していても 楽しいトコ行きたいわ~って言っていました。富士山の写真見ていて 涙が止まりませんでした。

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    2013/12/15 15:11

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  • (ごめんなさい続きです)お父様は幸せだったんだと思います。最期を送ってあげられて、気持ちに十分寄り添っていたことが伝わってきます。自分を責めるのはやめにしましょう。お父様との良かったことを思い出してあげることが供養にもつながるのでは、と思います。

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    2013/12/15 15:08

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  • (続きです)できませんでした。悔しかった。もっといろんなことしてあげればよかった。病院に入れば必ず治るもんだと思っていた気持ちを打ち砕かれ、告別式は姉の膝でわんわん泣いたのを覚えています。火葬場の人にも焼かないでってすがったのを忘れません。ただ、今は良かったことだけを思い出すようにしています。

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    2013/12/15 15:05

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  • しょひーさんのお父様とと似ています。母も私が10歳のときに膵臓癌で亡くなりました。わかったときはやはり余命3カ月でした。そのころは告知が一般的ではなかったので、ひた隠しで過ごしました。気持ちにも寄り添えなかった。私は朝早く起こされ、病院へと向かいました。が、最期に一歩間に合わず、看取ることも

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    2013/12/15 15:02

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