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田所君報告の

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田所君報告の寛永十一年阿波国板野郡神宅村の夫役帳によると、


一、六歩 本百姓 作太夫 (歩は夫役のこと)
一、弐歩 右之下人 喜七郎
一、弐歩 右之名子 庄三郎
一、三歩 間人 藤右衛門
一、弐歩 右のおぢ 善太夫


 などと見えている。下人や名子は他人に所属するもので、大宝令に所謂家人奴婢に相当するものなるが故に、間人よりも一層社会的地位の低いものと認められ、したがってその夫役負担もまた間人の家族と同じく、本百姓または百姓の三分の一を課せられるに過ぎなかったが、間人は独立の一家を有しながら、なお本百姓または百姓の二分の一を負担すればよかったのであった。
 谷君の報告によれば、防長地方においても百姓はその持高に応じて本軒・半軒・四半軒等に分れ、それぞれ門役と称する戸別割の役銀を負担し、また浮役と称して蕨縄の賦課を受けたものであったが、門男百姓はその義務を有しなかったという。そして一旦門男の籍に編入されたものは、たとい持高百五十石積廻船一艘の資産を有する程のものになっていても、天保の頃になお門男の資格を脱することが出来なかった実例を同君は提供しておられるのである。勿論門男百姓も村民の諒解を得、一定の手続きを経れば百姓になる事が出来た。それには本軒に三石、半軒に一石五斗の本米を給し、三年間諸役を免除されたものだと谷君は云っておられる。http://beauty.hotpepper.jp/slnH000148809/

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