海外在住のCさんが帰国した。
そうだ。浅草を案内してあげよう。
よっしゃ。
Cさんのために・・・と言いながら
自分が食べたいものを食べに行こっ。

ごちそーーさんっ。
やっぱりさ。
「土手の伊勢屋」さんの天丼は絶品ね。
海老や穴子がどんぶりから飛び出しているものね~。
あまりの美味しさに
写真撮るの忘れちゃったよん。(ー_ー)!!
http://doteno-iseya.com/index.html
( ↑ 貼り付けっ。 )

い せ や ・・・っと。
日曜日だったからさあ。。。

並んだなー。
明治22年創業。
この佇まいは昭和2年建造。
おーぉ
味も建てモノも
正に私好みの大好物っ♪。
店の前の通りは「新吉原大門」 。
あの吉原。

江戸幕府公認の遊郭があった吉原。
なぜ「新吉原」なのか。。調べてみた。

最初,日本橋人形町に吉原だったそうな。
これがまた大火に遭い
引っ越した先がここ「新吉原」なんですと。
火事と喧嘩は江戸の華。
「土手の伊勢屋」に「土手」ってあるけれど
近くに土手はなし。川もなし。
その昔,
隅田川から山谷堀(さんやぼり)って水路があって
旦那衆がその水路で新吉原へ遊びに来たそうな。
なーるほど。。。
その水路の土手ってコトねっ。
明治~昭和初期には 吉原帰りの旦那衆らは伊勢屋で
お腹も満たしたんじゃないかなーと。

歌川広重の描いた山谷掘。
たぶん土手があったであろう場所に
「見返り栁」ってのがあって

お楽しみ後の旦那衆が「楽しかったなー。」と
吉原大門に向って振り返りポイントがこの柳ってワケ。
今の吉原はガラリと変わり当時の風情なし。
昼間なら・・と通り抜けてみる。えいっ。
おぉーー。 立ち並ぶ風俗テ-ー-ー-ン。

「吉原神社」と「吉原弁天」があり
唯一昔の雰囲気が感じ取れる場所。

吉原弁天様
当時の花魁や女郎たちの悲しみや苦しみを知っているんだろうな。。。

吉原弁天の彼岸花は悲しいくらい美しかったなあ。
夕暮れの浅草寺。。。。

夕方になると本堂の門が閉まるので長蛇の列・・・(ー_ー)!!。

浅草寺ってやっぱりゴージャスっ(^_^)/。
おやすみなさい。
https://beautist.cosme.net/article/579486
吉原について以前の記事