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◇◆浅草日記 三部作◇◆その1 新吉原散策 

◇◆浅草日記 三部作◇◆その1 新吉原散策 

9月某日 (日)

海外在住のCさんが帰国した。
そうだ。浅草を案内してあげよう。

よっしゃ。
Cさんのために・・・と言いながら
自分が食べたいものを食べに行こっ。

    
      ごちそーーさんっ。

やっぱりさ。
「土手の伊勢屋」さんの天丼は絶品ね。
海老や穴子がどんぶりから飛び出しているものね~。

あまりの美味しさに
写真撮るの忘れちゃったよん。(ー_ー)!!


http://doteno-iseya.com/index.html
( ↑ 貼り付けっ。 )




 い   せ    や  ・・・っと。


 日曜日だったからさあ。。。

       並んだなー。

明治22年創業。
この佇まいは昭和2年建造。

おーぉ
味も建てモノも
正に私好みの大好物っ♪。

店の前の通りは「新吉原大門」 。


あの吉原。

江戸幕府公認の遊郭があった吉原。
なぜ「新吉原」なのか。。調べてみた。



最初,日本橋人形町に吉原だったそうな。
これがまた大火に遭い
引っ越した先がここ「新吉原」なんですと。

火事と喧嘩は江戸の華。 

「土手の伊勢屋」に「土手」ってあるけれど
近くに土手はなし。川もなし。

その昔,
隅田川から山谷堀(さんやぼり)って水路があって
旦那衆がその水路で新吉原へ遊びに来たそうな。

なーるほど。。。
その水路の土手ってコトねっ。

明治~昭和初期には 吉原帰りの旦那衆らは伊勢屋で
お腹も満たしたんじゃないかなーと。



    
      歌川広重の描いた山谷掘。



たぶん土手があったであろう場所に
「見返り栁」ってのがあって

お楽しみ後の旦那衆が「楽しかったなー。」と
吉原大門に向って振り返りポイントがこの柳ってワケ。


今の吉原はガラリと変わり当時の風情なし。
昼間なら・・と通り抜けてみる。えいっ。

おぉーー。 立ち並ぶ風俗テ-ー-ー-ン。



「吉原神社」と「吉原弁天」があり
唯一昔の雰囲気が感じ取れる場所。



     吉原弁天様
当時の花魁や女郎たちの悲しみや苦しみを知っているんだろうな。。。



吉原弁天の彼岸花は悲しいくらい美しかったなあ。



夕暮れの浅草寺。。。。

  夕方になると本堂の門が閉まるので長蛇の列・・・(ー_ー)!!。


  浅草寺ってやっぱりゴージャスっ(^_^)/。



おやすみなさい。

https://beautist.cosme.net/article/579486
吉原について以前の記事



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