「名探偵コナン」や「ドラえもん」といった長寿アニメについて
匿名 さん
「名探偵コナン」や「ドラえもん」の様に長く続くアニメで、座長的なポジションはやはり主人公の声を演じる声優さん(江戸川コナンの高山みなみさんや、ドラえもんの水田わさびさん)ですか?
それとも、レギュラー声優陣の中で最も年齢が上のベテランの方が座長的ポジションですか?
例えば、声優交代前の「ドラえもん」では座長は大山のぶ代さんだった様です。
そして、イベントとかでドラえもんの声優さんたちがサインを書いたりする際は、いつも必ず大山のぶ代さんが中心にサインを書いて、大山さんがサインを書いた後に、大山さんのサインを囲む形で、のび太くんの小原乃梨子さんやしずかちゃんの野村道子さん、スネ夫の肝付兼太さんやジャイアンのたてかべ和也さんがサインを順番に書くという暗黙のルールがあったそうです。
また、大山のぶ代さんは、演出家や脚本家が原作に基づいて書き下ろしたドラえもんの台本に対しても、アフレコ前に必ず台本のセリフを1つ1つ確認して、日本語辞典で言葉の意味合いが適切であるかどうかや、汚い言葉が台本に書かれていないかを必ず確認して、大山さんが不適切と考えたセリフや言い回しは、大山さんが台本を修正して、それでアフレコの本番が行われていたそうです。
大山のぶ代さんと原作者の藤子不二雄氏は、お互いにリスペクトし合う良好な関係だったそうで、そのため大山さんが原作のセリフの言い回しを変えることに藤子氏も賛同していた話も有名です。
また、ドラえもんは2005年に声優交代が行われましたがこれは大山のぶ代さんの意向を製作者サイドが尊重した結果だそうです。
大山のぶ代さん(当時68歳)はドラえもんを演じて22年目の2001年に、人間ドックで直腸がんが見つかり、直腸がんの治療のために長期入院する期間があったそうです。
その期間も、ドラえもん役の代役を立てずに、病院に収録機材を持ち込んで、病室からドラえもんの声を吹き込んだ(他の声優が既に吹き込み済みで、ドラえもんのセリフの部分だけ病室で大山さんが後録りした)エピソードも有名です。
手術が成功して、大山さんの病気も完治しましたが、大山さんは手術が成功したにも関わらず、テレビ朝日と製作会社の幹部を病室に呼び、「自分はもう高齢だから今回は手術が成功して完治したけど、また近い将来、私に何かあったらドラえもんを楽しみにしている子どもたちや、関係者の皆さんに迷惑をかけてしまう。私が何かあってからドラえもんを降りるのは嫌だから、元気な今のうちに若い役者さんにドラえもんを託したいです。」と大山さんは自らドラえもん役の降板を申し入れてます。
しかし、ドラえもんの製作に5社以上の会社が関わっていることや、大手の製薬会社がスポンサーになっており、関係製作会社やスポンサーである大手製薬会社が大山さんの降板の申し入れを受諾しなかったため、大山さんは降板を断念してドラえもん役を続投しました。
しかし、大山さんはこの時期から繰り返し降板を何度も申し入れたそうです。
そして、実際にドラえもん役を大山さんが降板したのは2005年3月でしたが、2004年の春頃に大山のぶ代さんの降板が受諾されたそうです。(大山のぶ代さんの著書に2004年の春頃にドラえもん役の降板を認めてもらえたという趣旨の記載があります。)
大山さんは、ドラえもん役を降板した翌月にラジオに出演し以下の様にコメントをしています。
・「私は、(各々の申し入れで1人1人少しずつ交代していくサザエさん方式ではなく)声優の誰かに何事かあってからではなく、綺麗に引退したかったんです。」
・「ドラえもんは絶対に永久に、2112年を迎えても続けてもらいたいんですが、生身の人間はそこまではいけません。だから、引き際を考えていました。」
大山さんが最初に降板を申し入れてから、降板が正式に認められるまでの間に大山さんと製作者サイドで、大山さんのみの交代ではなく、全員総交代という段取りで合意したということが分かります。
大山のぶ代さんご本人は、全員で同じタイミングで交代したかったという気持ちを持つのは自由ですが、他の声優4人(のび太、しずか、ジャイアン、スネ夫)も果たして同じ気持ちだったんでしょうか?
「ドラえもん」の場合は大山のぶ代さんが座長で、演出・脚本に対しても大山さんの意向が大きく反映されたり、声優交代で全員交代という形で決着したのも大山さんの意向が大きかったことが読み取れます。
「名探偵コナン」や「ドラえもん」の様に長く続くアニメで、座長的なポジションはやはり主人公の声を演じる声優さん(江戸川コナンの高山みなみさんや、ドラえもんの水田わさびさん)なんでしょうか?
それとも、大山さん時代のドラえもんのケースは稀で、基本は製作スタッフや、最年長の人が主権を握っているんでしょうか?
それとも、レギュラー声優陣の中で最も年齢が上のベテランの方が座長的ポジションですか?
例えば、声優交代前の「ドラえもん」では座長は大山のぶ代さんだった様です。
そして、イベントとかでドラえもんの声優さんたちがサインを書いたりする際は、いつも必ず大山のぶ代さんが中心にサインを書いて、大山さんがサインを書いた後に、大山さんのサインを囲む形で、のび太くんの小原乃梨子さんやしずかちゃんの野村道子さん、スネ夫の肝付兼太さんやジャイアンのたてかべ和也さんがサインを順番に書くという暗黙のルールがあったそうです。
また、大山のぶ代さんは、演出家や脚本家が原作に基づいて書き下ろしたドラえもんの台本に対しても、アフレコ前に必ず台本のセリフを1つ1つ確認して、日本語辞典で言葉の意味合いが適切であるかどうかや、汚い言葉が台本に書かれていないかを必ず確認して、大山さんが不適切と考えたセリフや言い回しは、大山さんが台本を修正して、それでアフレコの本番が行われていたそうです。
大山のぶ代さんと原作者の藤子不二雄氏は、お互いにリスペクトし合う良好な関係だったそうで、そのため大山さんが原作のセリフの言い回しを変えることに藤子氏も賛同していた話も有名です。
また、ドラえもんは2005年に声優交代が行われましたがこれは大山のぶ代さんの意向を製作者サイドが尊重した結果だそうです。
大山のぶ代さん(当時68歳)はドラえもんを演じて22年目の2001年に、人間ドックで直腸がんが見つかり、直腸がんの治療のために長期入院する期間があったそうです。
その期間も、ドラえもん役の代役を立てずに、病院に収録機材を持ち込んで、病室からドラえもんの声を吹き込んだ(他の声優が既に吹き込み済みで、ドラえもんのセリフの部分だけ病室で大山さんが後録りした)エピソードも有名です。
手術が成功して、大山さんの病気も完治しましたが、大山さんは手術が成功したにも関わらず、テレビ朝日と製作会社の幹部を病室に呼び、「自分はもう高齢だから今回は手術が成功して完治したけど、また近い将来、私に何かあったらドラえもんを楽しみにしている子どもたちや、関係者の皆さんに迷惑をかけてしまう。私が何かあってからドラえもんを降りるのは嫌だから、元気な今のうちに若い役者さんにドラえもんを託したいです。」と大山さんは自らドラえもん役の降板を申し入れてます。
しかし、ドラえもんの製作に5社以上の会社が関わっていることや、大手の製薬会社がスポンサーになっており、関係製作会社やスポンサーである大手製薬会社が大山さんの降板の申し入れを受諾しなかったため、大山さんは降板を断念してドラえもん役を続投しました。
しかし、大山さんはこの時期から繰り返し降板を何度も申し入れたそうです。
そして、実際にドラえもん役を大山さんが降板したのは2005年3月でしたが、2004年の春頃に大山のぶ代さんの降板が受諾されたそうです。(大山のぶ代さんの著書に2004年の春頃にドラえもん役の降板を認めてもらえたという趣旨の記載があります。)
大山さんは、ドラえもん役を降板した翌月にラジオに出演し以下の様にコメントをしています。
・「私は、(各々の申し入れで1人1人少しずつ交代していくサザエさん方式ではなく)声優の誰かに何事かあってからではなく、綺麗に引退したかったんです。」
・「ドラえもんは絶対に永久に、2112年を迎えても続けてもらいたいんですが、生身の人間はそこまではいけません。だから、引き際を考えていました。」
大山さんが最初に降板を申し入れてから、降板が正式に認められるまでの間に大山さんと製作者サイドで、大山さんのみの交代ではなく、全員総交代という段取りで合意したということが分かります。
大山のぶ代さんご本人は、全員で同じタイミングで交代したかったという気持ちを持つのは自由ですが、他の声優4人(のび太、しずか、ジャイアン、スネ夫)も果たして同じ気持ちだったんでしょうか?
「ドラえもん」の場合は大山のぶ代さんが座長で、演出・脚本に対しても大山さんの意向が大きく反映されたり、声優交代で全員交代という形で決着したのも大山さんの意向が大きかったことが読み取れます。
「名探偵コナン」や「ドラえもん」の様に長く続くアニメで、座長的なポジションはやはり主人公の声を演じる声優さん(江戸川コナンの高山みなみさんや、ドラえもんの水田わさびさん)なんでしょうか?
それとも、大山さん時代のドラえもんのケースは稀で、基本は製作スタッフや、最年長の人が主権を握っているんでしょうか?
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