山田詠美さんの小説「ぼくは勉強ができない」を読んだのは、今から30年近く前だ。(←おそろしいな)大学生の頃だった気がする。リアルタイムに高校生目線で読めなかったこともあってか、はじめは17歳の主人公、時田秀美君のクールでマイペースなモテぶり、辛辣な言動に「カチン」とくるようなところもあった。
”ぼくは思うのだ。どんなに成績が良くて、りっぱな事を言えるような人物でも、その人が変な顔で女にもてなかったらずい文と虚しいような気がする。” 「ぼくは勉強ができない」より
それを言っちゃおしまいだろう。そんな禁句にも似た真実を、当時の山田詠美さんの小説は、恐れを知らずにスパッと言い切っていた。まるで鋭いナイフで一閃するかのように。切口のあまりの見事さにかえって切られた者が感心するほどに。

ラルチザンの香りでもやはり別格と感じるのが、ベルトラン・ドゥショフールの調香した作品群だ。これはルカ・トゥリンの受け売りでもなんでもなく、なんと独創的で、なんと印象的な香りを作る人だろうという思いは、彼の作品に触れるたびに、地層のように重なっていく。

夏の夕暮れどき。残照の赤が、名残惜しそうに西の空の水平からスペクトラムを散らす頃、天球の上からは夜のとばりの青が静かにあたりを浸潤し始める。その赤と青のコントラストが混じる境界は、不思議なことに、うっすらと中和されたかのように白っぽく輝いている。

夕暮れは、トリコロールなのだ。
情熱の赤を感じさせるホットスパイスのミックス、そして、すっと心を鎮静させようとする青を思わせる香り、これらの相反する香料の競演を「オンド・ソンシュエル」は表しながら、人間の原始的な欲望を揺らす波を表現している。
オンド・ソンシュエルの香りは複雑だが、昼の赤でもない、夜の青でもない夕暮れ時だからこそ、さまざまな思いを感じ取ることができたのかも知れない。この香りを付けていて一番思ったのは、「山田詠美さんの小説の高校生たちみたいだな」ということ。
彼らは少年少女でもない、けれど、大人にもなりきれない。残酷で不作法で、けれど、大人を負かすほどには武器の使い方もまだ知らない。そんな揺れ動く複雑な時代。
「ぼくは勉強ができない」の主人公、時田秀美は、いけすかない学級委員長を「お前、そんなに頭がよくったって、女の子にもてないだろ」とやりこめる。けれど、それは、自分にも突き立てたもろ刃の剣だったことをやがて知る。彼もまた、たまたまモテていただけで、自分がなぜモテていたのかは気付いていなかったのだ。だが、彼なりに傷つきながら、少しだけ恋や性の真実をかじって覚え始めていく。
そんな彼に、学年一の美少女が、恥ずかしげな笑顔とともに近づいてくる。そして彼に告白する。そのとき、彼は彼女にこう言う。

「自分のこと、可愛いって思ってるでしょ。本当はきみ、色々なことを知ってる。人が自分をどう見てるかってことに関してね。完璧に美しく、けれども、完璧が上手く働かないのを知ってるから、いつも、ちょっとした失敗と隣り合わせになってることをアピールしてる。」
「ぼくは、人に好かれようと姑息に努力をする人を見ると困っちゃうたちなんだ。香水よりも石鹸の香りが好きな男の方が多いから、そういう香りを漂わせようともくろむ女より、自分の好みの強い香水を付けている女の人の方が好きなんだ。」
オンド・ソンシュエルをずっとつけていて、遠い昔に読んだ切れ味の鋭いナイフのような、けれどどこかすっきりとして蜜のような甘味をもった美しい小説をいくつも思い出した。
ありがとう、オンド・ソンシュエル。
「俺は女にもてない」。いつか山田詠美さんへのオマージュとして、そんな小説を書こう。
ラルチザン・パフューム「オンド・ソンシュエル」クチコミ
「香水ドラマストーリー」
※文中の写真はイメージです。
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