見事にふくらはぎが筋肉痛になり若干後悔している今日この頃です。
皆様いかがおすごしでしょうか。
なお、買い物はマスキングテープとデコレーションシールです。
マステは夫の口呼吸を改善するため。
デコレーションシールは、小学生の頃に祖母からいただいた財布の汚れ隠しのためです。
ちなみに今日は愚痴ではないですが、日記が完全に自分語りになってしまっています。
若干暗めの内容なので、お越しくださった皆様におかれましては、どうかスクロールバーの調整及びブラウザバックの準備をお願いいたします。。
(若干タイミングを逃してしまっていますが、これ以上逃し続けるのは嫌なのでここで書きます。)
皆様、当ブログにお越しいただき本当にありがとうございます!
また、たくさんのLikeもありがとうございます!
これからもぼちぼち書いて参りますので、たまに足を止めていただけましたら幸いです!
===ここまで前置き===以下本編===
○体重
39.3kg(前日比+0.9kg)
○今日行なったケア
・クレンジング…(プレディア) スパ・エ・メール ファンゴ W クレンズ
・洗顔 …(メンソレータム)薬用クリーム洗顔
・美容液 …(プレディア)バイタルスピリッツ アドバンスド
・化粧水 …(アクアレーベル)ホワイトアップローション(R)
・乳液 …(アクアレーベル)ホワイトアップエマルジョン(R)
・クリーム …オロナインH軟膏 (医薬品)
○今日行なったメイク
・日中用乳液 …(エリクシール) シュペリエル デーケアレボリューション W II
・化粧下地 …(マキアージュ)パーフェクトマルチベースBB
・アイシャドウ …(マジョリカマジョルカ)ジュエリングアイズ (人形のまばたき)
・アイライン …(エルシア) リキッド アイライナー
○日記
今日はお昼を外食にし、その後夫は買い物へ、私はウォーキングへと二手に分かれました。
(まぁ、私も買い物してしまったんですが)
そこそこ歩き、走り、満足したところで帰路に着いたのですが、その道中香ってきた金木犀の香りに思わず笑みがこぼれました。普段引きこもってる人間からしたら、季節を感じられるものの存在はやはり良いものです。道端に転がっているどんぐりもどこか懐かしく、心がほっこりしました。
夕方以降は夕飯を作ったりキッチン周りを片付けたりなど少しバタバタしつつも夫と談笑。
その際に、夫と私の価値観の違いの話になりました。
私は基本、損得勘定でしか動きません。その行ないをすることによって生じる「損害」と「利益」を天秤に掛け、利益の方が多ければどんなに苦しくてもつらくてもその行ないをする。
身近な例でいけば「受験勉強」が一番わかりやすいでしょうか。多少身体に負担を掛けても、行きたい学校があれば眠い目をこすりながらでも勉強するでしょう。その学校に行くことによって得られるものが、身体への負担より大きいからこそ頑張る…というような感じで。
ただこれ、「極端」だと結構しんどいんですよね。
私は幼い頃から「自分の心を蔑ろにすること」が「前提」となってました。
当然です。実際「蔑ろにされていたようなもの」です。知的障害者の妹ばかりに親の目が行く。本当は構ってほしいところをぐっと我慢をする。これが「普通」のことだったのです。
「自分は蔑ろにされて当然の人間なんだ」と、そう錯覚しだしたのは、本当に幼い頃でした。
でも、悲しくて泣くほどではなくて、「ちょっと寂しい」ぐらいの感覚でした
親が妹ばかり目をかける理由が分かりきっていたからです。
親が私に時間を割くことは、親が妹から一時的であれど「離れる」ことを意味します。それにより妹は、障害の特性上、激しく感情を乱します。
親が傍にいなければ、妹の負担が尋常じゃないレベルで増していくのです。
同じ「娘」であるとはいえ、妹に目が行くのは当然のことでした。
だから「ちょっと寂しいと思うことにしよう」と思ったのです。
自分で自分の気持ちを「見なくなった」のです。
「妹ばかり構われて、悔しい、悲しい」だなんて、言えるような「状況」ではないことは、幼くとも重々理解していましたから。
あの頃はまだ知的障害への理解も低く、心無い言葉が土砂降りの雨のように私たち一家に降り注いでいたのです。(今もですが)
私たち一家は誰もが皆「我慢」を強いられていた。
我儘を言うことは、許されなかったのです。
それがたとえ「我儘」ではなく「得られて当然のはずの権利を主張するもの」だとしても。
さて、「自分の感情がそもそもない(ものとする)」…自分の気持ちを考慮しなくて良いとなれば、「損得勘定」の考え方とはかなり相性が良くなります。
何せ、ロボットのように冷静に判断を下すだけです。
「損の量、益の量」を比較し、益が大きければやる。損が大きければやらない。たったそれだけのことです。しかもそこに「感情」が絡まなければ、無駄という無駄はほぼ排除出来ます。
毎日のように泣きました。「どうしてこんな苦しい事やってるんだろう?」と自分の下した判断に泣きました。
でも、それは全て「良い結果」に結びついていく。その「過程」がどれだけ苦しくても、乗り越えれば確実に「良い結果」が得られる。
その確信があったため、結局私が「折れる」ことはありませんでした。
それによってどれだけ心が疲弊しようと、関係の無い事でした。
「蔑ろにされて当然の人間である」という錯覚は、いつの間にか「自分は居ても居なくてもどうでもどうでもいい存在」という思いに変わっていたからです。
そして、極端な思想になればなるほど、そのスピードは増していきます。
「居ても居なくてもどうでも良いなら、つまり存在価値は無いに等しい。寧ろ、存在することによりこの世の酸素が私の分だけ減り、食べ物も、私が食べる分だけ減っていく。これらを本当に必要としている人の元に、私一人分のものが届かない。存在価値の無い人間に、無駄な投資がされている。これはいけないことだ。あってはならないことだ。【私という存在】を早く消してしまわないと。」
…こういう思考に至るのに、時間は掛かりませんでした。(※10歳の頃でした。)
まさしく「損得勘定」の最悪の例の1つです。
結果だけ見てしまえば「蔑ろ」になっているけど、過程も見れば「蔑ろにしたわけではない」ことは一目瞭然です。そうせざるを得なかった、そうなってしまった、ただそれだけのことです。
でも、私は「結果に対しては過敏」だけど「過程に対しては鈍感」という性質を持って生まれた人間でした。
間違いなく「損得勘定」と相性は良いでしょう。でも、これって端的に言ってしまえば「ロボット」です。
一番組み合わさってはいけない性質と思考が組み合わさった結果が、私という存在でした。
自分の消滅を望むようになってから…自分の死を望むようになってから、一層損得勘定の思考はその強さを増しました。この人間の身体が早く朽ちるようにと追い詰めながらも、この人間(の身体及び脳)が出来る最高のパフォーマンスを追求していました。
いつの間にか、何をしても「楽しい」という感情は沸いてこなくなりました。
一方、夫は「自分の身体・精神第一」がモットーの人間です。
「疲れる前に休む。」
これを徹底していました。無理を一切しないのです。
付き合い始めた当初は、彼(夫)のそのモットーに驚きました。でもすぐに納得しました。
「自分(の身体・精神)」を一番重要な資産(資本)として位置付けているのであれば、この思想は損得勘定においても最高だったからでした。仮に、結果に「質」を求めるならば、運用する「資本(対象の人間)」が安定していなければ、どんなに投資をしても「満足の行く結果にはならない」というのは、自分で身を持って知っていたからでした。
(なんだか、お肌の調子を改善しようにも、普段の生活習慣が悪ければ、良くなるはずのお肌がなんだか中途半端な状態になるのと似てますね^^;)
私は一人感動しました。ここまで徹底出来ている人間に出会ったのは初めてだったからです。
というよりも、「無理をしようとしたら、勝手に身体と精神が猛烈に拒否反応を起こしている」ようでした。
私は先述のことを踏まえるとこの機能が間違いなく破損しているので、いつも難しく解決策が中々出てこない話題になると「ごめん…なんだか頭がごちゃごちゃしてこれ以上考えられない」と言って寝てしまう夫の(身体と精神の)素晴らしさに思わず感嘆しました。自己防衛機能がかなりの高レベルで稼働しているその様に、どこか神々しささえ感じました。
ただ、「極端だな。」とも思いました。(特大ブーメラン)
実際、色眼鏡を外せば、夫に「今やり始めればたったこれだけの投資で済むのに、『このやる気が続かないだろうから』などという生ぬるい理由で結局手をつけんのかい!」とツッコみを入れたくなる事例はこれまでにもたくさんあり、悪く言ってしまえば「優柔不断ここに極まれり!」という人間です、ハイ。
学生時代に出会っていれば間違いなく嫌いだったタイプだろうなぁ…なんて思った回数は数知れず…。
(でも、ずっと一緒に居て、「本人の意志に関係なく、身体と精神が極端な拒否反応を出しているんだろう」というのがだんだん分かってきたので、最近は「あなたが後でその判断を悔やむことが無ければ、なんだって良いよ。ただ、判断を下さなきゃいけない時にあなたがちゃんと考えられるように声掛けはするけどね。」と言うようにしています。拒否反応により恩恵を受けているのは夫本人で間違いはないですが、同時に優柔不断だったりやる気が続かないという迷惑を受けているのも夫本人ですから。勿論、そういう部分ひっくるめた全てが「夫」なんですけど。)
「自分たちのこの思考を足して2で割ればきっとちょうど良いだろうにね」という言葉でこの話題については締めくくりましたが、本当にそうだなと思います…。
互いに極端だからこそ、そのせいで足りなくなっているピースを補うが如く出逢わされたのかな?なんてことを思いつつ…どうか将来、私たちの間にやってきてくれる魂は、上手いこと足して2で割った思考を持って生まれてきてほしいなぁ…と、居るのか分からない神様にお願いしつつ…。
夫と出逢えて、本当に良かったなと思う今日この頃でした。
少しずつではあるけれど、「楽しい」という感情を取り戻せそうです。
(余談…このブログって、「障害/児」(/抜き)で書けないんですね。「害/児」が引っかかるんでしょうか。障害者なら引っかからないみたいなのですが。仕方がないんでしょうけど、若干不便ですね;)
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