
若かった頃の自分に言いたいこと。
2020/10/19 19:52
いつも読んでいただく皆さま、ありがとうございます。
秘密裏にやっているネットの中でさえ人見知りな私は、今日も淡々と書き連ねていますが、本当はひとつのライクに心踊るほど感謝しています。
私はこの歳になっても人見知りゆえに自分から他人にアクションを起こせません。
そして人見知りゆえに安易に自分の領域を他人に開けません。
そして微笑みを一番の苦手とすることで、「近寄りがたい」「常に淡々とした」今の私が出来上がっています。
ですが、悩みのないひとは存在しません。
生きていればいろいろあります。
先日、友人のお母様が急逝されました。
雨上がりの青空に輝く庭の金木犀を見ながら、今の彼女の気持ちに思いを巡らせています。
年老いた親と、どう向き合っていくか。
そしていつ訪れるかわからない親との別れ。
子育てを終えた私たちはそういう年齢なんだとつくづく思います。
若いときは考えたこともなかった、「支える対象」として親を思うとき、それはコロナ禍において重いものだと実感します。
歳を重ねること。
それは背負うものが変わってくるということかもしれません。
そんな私が最近とみに思うこと。
スケジュールチェックのためにフォローしているヨガスタジオのインスタを見ていると、あんなにキレイなイントラさんが、顔を加工しているのがわかる。
同じスタジオに通う友人と「そのままの方がいいのに」と意見が一致する。
最近の人にとってはそれが普通で、一種のゲーム感覚なのかもしれないけれど。
若かりし頃、出かける前にメイクをしていると決まって母は言った。
「何もしない方がキレイなのに」
パーマをかけた長い髪を巻いていると、
「まっすぐで短い方がキレイなのに」
あの時の母は今の私と同年代。
今なら母の言いたいことがよくわかる。
そう思うといらぬ世話なのかとも思って笑える。
自分に自信がなかったあの頃は、どこまでやってもキレイになれた実感がなかった。
背伸びをし、真似をし、それでもまだ足りない自分。
コンプレックスばかりを感じ、補うこと、飾ること、加えること。
30代になり、子育てに明け暮れる私はだんだん引き算になった。
アクセサリーを外し、パーマを取り、そして時間をかけなくなった。
子どもたちを社会に送り出すのと同時に、鏡の中の自分と向き合う時間が増えた。
今の私は、わざわざ時間をかけて「いかにメイクをしていない自分になるか」というメイクをしている。
若い頃はアイシャドウの暗い色ばかりを使って平坦な顔を立体的にしたかったけど、気づくとくぼみやたるみを目立たせない明るい色ばかりが底見えするようになる。
…皮肉だわ。( 一一)
「素肌っぽい」というフレーズは、絶対に素肌ではない。
マニキュアをした髪の艶も、あの時の艶とは違う。
梳かすだけでツヤツヤだった髪にパーマをかけて必死で巻いていたあの頃。
若さと言う美しさが時間限定だからこそ、もう戻らないからこそ。
20代の私に言いたい。
メイクは最小限でいい。
髪はパーマもかけず染めない方がいい。
大人っぽくしなくたっていい。
確実にあなたは大人になれるから。
今の自分を味わって、楽しんで、ウン十年後の自分のために。
きっと伝わらないとは思うけど。
女性が意識するのは殆どが同年代の視線。
だから違う年代の意見は響かない。
いかんせん中年になると、その意識する相手は同性だけになってくる。
若い人から見たら、40代も50代もさほど変わらないけど、当人には大違い。
私たちから見ると、若い女性は飾らなくても加工しなくても持っている美しさがある。
だけど当人たちに当たり前にあるその美しさは、私の年齢にならないと気づかない。
「若さ」という美しさがあること。
「何もしない」という美しさがあること。
それは多分「ありのまま」という意味なんだ。
それでも56歳になった今の方が、私は自分が好き。
自分の今を受け入れているからかも。
コンプレックスに追われて、自信がなかったあの頃よりずっと自分らしく生きられる。
まわりに左右されず、これが「今の私」だと思える。
メイクを落とした鏡の中にいる56歳を、大切にしています。
生きていれば、いろんなことがあります。
自分の意思とは裏腹に。
楽しくて、嬉しい事ばかりじゃない。
それでも、時間が解決しないことはない。
と私は信じています。
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