
気持ちいいくらいに潔く降る雨。
まさにザザ降りだった梅雨が終わろうとするこの季節。
去年もよく降った、一定の場所のことは知らない、西も東も北も私が不穏な雨雲を追ったのかと思うほどに、どの土地に行っても土砂降って、シトドに濡れたのを思い出す。
空も私も泣きたいだけ泣けばいいと毎日全てを傷付けて濡れていた。
今、この匂い、この季節の匂いは私の胸を複雑に切なくする。
片や壊したくても壊しきれないナサケという重たい怠惰を抱え、
片や本気のゲームを気取ったつもりがゲームなどないのだと一蹴にされて育み出してしまった虹色の世界、だけど短期間の儚いものと決めつけたからこそ切なさと共に大事に抱えていた。
壊したかったそれは、未だ私の中の自責と痛みを呼び起こすけれど今はもう霞んで遠い。
育みたかったそれは、まだまだ独りよがりな匙加減を不必要な心細さに変換していたけれど、今は面映ゆい思い出でしかない。
育み出したそれは壊した原因ではない。
気付かぬふりをしていた疑問に真っ向からぶつかった覚醒のきっかけに過ぎない。
この生温ったるい空気感。
昨年の今も空気は生温かった。
まるで生き血のような生温さ。
たくさんの情景が襲う。
脳の中で淡々と蠢く。
記憶が梅雨空の狭間に出る光に撹拌されて、いくつもの光景がフラッシュバックする。
本当は去年だけじゃない、こんな空気感に似たそこに、どれくらいの期間居たのだろうか。
コーヒーの生温いのは胃がもたれる。
生温い血は体を重たくする。
それに気付いてしまったところから派生した全て。
きっと気付きにくい、生温い中は体温と同化してしまって痛みが緩くなるから。
生温さにどっぷり浸かるとむしろ心地好いのではないかと勘違いする。
勘違いにすらも感じにくい、浸かり切って生き易い気がするからだ。
たまに幸福と勘違いするほどの生温さ。
感情にも感性にも怠惰な年月。
重たかった、しんどかった、怖かった、本当は泣きたかった、気持ちは完全に自立して荒野に佇んでいたのに、それでも護らなければならないと限界まで頑張っていた。
限界かどうかは計れないけれど限界だと初めて感じた時を思い出すにつけ闇しか見えない。
いつからか心の糸はこれでもかというほどにキンキンに張り詰めていた。
緩ませたいとか和らぎたいなどと考える余地もなく、腐敗に似た癒しを避けて涙をどのように流すのかも忘れていた。
それでももっともっとしてあげたいことがあった。
惨めだろうと何かを与えてあげなければならないと思っていた。
何故そう思えたのかはわからない、憐れで可哀想だった。
憐れで可哀想なものを見ていたくなかった、
自分のことなどもうどうでもよかった。
護ってあげねばならないと必死になっていた。
だけど私にはもう力がなかった。
身を捨て崩してでもあらゆる世界に尊厳を持って挑んでも、すでに少しもよくはならなかった。
そんな私が辛さも痛さもただの愚痴だからと、何一つ口にしなかったことは正しいと考えていたけれど、間違いだった。
結果的に蓄積して蓄積して、私の中に溜まるだけ膿が溜まった。
笑顔はいつも作りもの、心から笑えたのはいつまでだったのだろうと呆然としたのを思い出す。
何年間も咽喉まで出かかる性急な言葉たちを奥に戻すことで楽になると思っていた。
けど、本当は咽喉を詰まらせて青くなって心は座り込んでいた。
生温い空気の中でどこが寒いのかわからなかった。
冷えた身体が傷んで立つことができなくなりそうだったのに。
そんな空冷えする日々に閃光が走った。
命かけてもと溢れた思い。
だけど今さら余計な夢は見ぬことだと自分に言い聞かせて諦めようとした、確かにした、してはみた。
それでも安心しきれる広い胸にうずもれては、髪の毛1本1本に貫かれるほどの想いが燃え盛って消えなかった。
自身の身勝手ばかりかと罪悪感に苛まれて違う方向からも冷静に眺めてみたら、私は私が本当に護るべきものが見えた。
私が護るべきものは私自身でありながら、親でも子でもあった。
私がすべきは残された私の人生の選択と共に、険悪な空気を生むそれから親と子を解放することでもあった。
とうとう心でだけ計り続けた感情が言葉に生まれ変わって壊しはじめた初夏。
一つの欠片も残さずに壊す決意をした雨季。
始めることは何かを終わらせること。
どんな原因からも遠く、どんな結果にも届かなかった年月を終わらせて初めて次が始まる。
それでも、もうたくさんだと寝返りを打つたびに憐憫に揺れ、痛んでいないふりをする胸から生温い血が吹き零れそうになった。
有り余る血を表面の何かが食い止めていて、それが生ならば恥知らずだと自分を責めた。
寝ることに異様な力を必要とした夜が続き、また自身の怠惰を呪った。
失うことの困難な罪を意識できた。
頭の中で言葉の限界をつつきながら、それでもどの場所もどの場所も壊しきれず、日常の錆びた刃物で心を区切っては苦しんだ。
あやふやな真実を見捨て、誠意という模倣を被った事実よりも真なるウソを探した。
いつもきれいな理由を持ちたがる私の残酷。
手品のからくりのような綺麗事は通らない。
私は一つの答えに対する問いがあまりにも多すぎた。
一つだけの問いを選んでいるうちに部分的な力は絶えていき、途切れていく言葉の非力さを静かに肯定するしかなかった。
私の指でなぞった昨日はいつも消滅し、黒い言葉になって横たわり、影になってついて回った。
誠意、正義、潔癖、愛情。
それらはエゴイズムや人間の弱さ、甘えや自己満足のもう一つの顔に過ぎないと知った。
どれだけかあからさま過ぎるから湧き出ているはずの猜疑心は結局誤魔化され、信じることで消化しようとされた。
信じる方が疑うよりしんどいなんて嘘、現実から逃げていると見えた。
私との交戦を避け、信じているよという、安楽で重たい凶器を振り回して不戦勝したかったのだ。
けれど私は、曖昧さや心移りの激しさの中でも、せめて憎悪した感触の記憶くらいは無理してでもこだわり続けていたいと前だけを向いたから、脱け殻以外はもう完全にそこに居なくなっていた。
そうして梅雨が明け、私ははじめから私の激しさも涙も背負う覚悟をしていた居場所に真っ直ぐに走り出し、親と子を息苦しい閉塞から解放した。
ここがアニバーサリー。
ここからの1年の思い出は濃密過ぎてとてつもなく重たい。
私は限りなく広く深い私だけの曇りなき温かな海で力を抜いていだかれながら生きていく。
人は邪念なき情熱を貫くことで幸せになれる。
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