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ひゅーと征く、おでかけ7

ひゅーと征く、おでかけ7

さてここで……
……
遠い昔の日本についての話をしていくやで。

いまから約2700年前、ある人物が宮崎から大分・広島・岡山・大阪・和歌山と瀬戸内海沿いに軍勢を進め、和歌山からは熊野古道を通って奈良に侵攻、奈良盆地を治める勢力を滅ぼしてそこに都を建てた。その人物が、
神武天皇。初代天皇として即位したのが紀元前660年2月11日であることから、2月11日は建国記念の日として祝日となってる。
また、神武天皇が都を建てた場所は現在の
橿原神宮である。先日も学習院を卒業し就職された愛子さまが伊勢神宮とともに橿原神宮のそばにある神武天皇の御陵を参拝されたというのはニュースにもなった。
↓参考動画 

神武天皇の一連の進軍は「神武東征」と呼ばれ、美々津はその出発地であると伝承されてる。
海岸線の向こうに見える2つの島、その間を抜けるように船を漕ぎ出していったという。


神武天皇御舟出の地から北に進むと、耳川という大きな川に出てくる。戦国時代、現在の大分・豊後を治めてた大友氏と戦国一のバーサーカー軍団(笑)島津氏がぶつかった合戦の場でもある。
↓参考動画 耳川の戦い
島津のお家芸といえば、一線交えたあと偽装退却して反転迎撃、同時に伏兵も繰り出し半包囲で殲滅するという「釣り野伏せ」という戦術。兵力差を前にしても死を恐れない狂戦士っぷり(笑)もあって、いまなお島津を戦国最強軍団の候補に挙げる人は多い。


日本海軍発祥の地の碑が立ってる。これ、旧帝国海軍のことかと思ったら、神武天皇の御舟出をもって日本に初めて海軍が結成された、ということらしい。ま、たしかに船で行ってるんやからそうなんやろうけど笑

碑のそばにある立磐神社。神武天皇が座って休憩したという岩を御神体として祀られてる。



美々津はそういった歴史あるところ。そして、
江戸時代には海運業で栄えてたところであり、重要伝統的建造物群保存地区として当時の街並みが残されてる。
こういう歴史的な町並み、倉敷の美観地区とかは有名やけどここはだいぶマイナーなせいか、観光客もほとんどいない。というか、平日とはいえワイ1人だけやった(笑:事実)。そのおかげで落ち着いた雰囲気、街並みも小規模やけどそこそこの密度で残ってる。
昔の高札場跡。いわゆるお触れ書きが貼られるところで、当時からこの場所にあったということで、ここが街の中心地やったことがうかがえる。まぁこれは復元されてるんやろね。とりあえず、ワイが指名手配されてないのは確認できた(何)



じゃ、この街のお宅へ1件、おじゃまするとするやで。







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