
三重県女子旅3日目は志摩から鳥羽へ移動です。
鳥羽といえばミキモト真珠島。
修学旅行で訪問して以来○○年ぶりの再訪。
ミキモトといえば偉人伝にも登場する御木本 幸吉(みきもと こうきち)
御木本 幸吉(みきもと こうきち)安政5年1月25日(1858年3月10日) - 1954年(昭和29年)9月21日)
真珠の養殖とそのブランド化などで富を成した人物で御木本真珠店(現・ミキモト)創業者であり真珠王と呼ばれる。
うどん屋の息子だったのでミキモト真珠島のレストランはそのうどん屋さんの名前を取っているそうです。
まずは真珠博物館へ、最初に真珠の養殖の過程を見せていただきました。
ミキモト真珠島の松崎氏が核入れの手順を説明してくださいました。
真珠の大きさは中に入れる核で決まるって知らなかったな~、
核は貝殻を削って丸くして作っているのだそうです。
想像していた以上に手のかかる作業でした。そして、そんなに手をかけ愛情をかけても真珠になるのはその中の一部。
びっくりしたのがアコヤ貝の身から真珠を取り出すマシーン。
昔はアコヤ貝の貝柱を捨てていたそうですが、今はきちんと貝柱は食用にし、ほかの部分は肥料にしたりしているそうです。
かつて、海女は真珠の養殖にとってなくてはならない存在。海底に潜ってアコヤ貝を採取し、核入れした貝を再び海底へ。
赤潮の襲来や台風の時には、貝をいち早く安全な場所に移すなど、海女が活躍していたそうです。海女の活躍がなければ養殖真珠の成功はありえなかったということでミキモト真珠島では海女の実演をしています。
昔ながらの白い磯着の海女がみられるのはここ真珠島のみ。
今はウエットスーツで作業をするそうですが、海女ショーは今でながらの海女のスタイル、、白の磯シャツ(白木綿の上着の長袖)に白の磯ナカネ(短めのタイトスカート)で作業。
磯桶は、磯メガネ、磯ノミと共に海女の最も基本的な道具のひとつなのだそうです。
海女ショーの舟もいそぶえ、前日のディナーのレストランも磯笛。
磯笛
海女が呼吸を整えるときに一度に息を吐き出すため、ヒューという音が出る。のですがこれを磯笛と呼ぶそうです。
パールミュージアムコレクション
養殖真珠発明以前の天然真珠を用いたアンティークジュエリーを約60点が展示さrています。およそ2000年前につくられた帝政ローマ時代の装身具にはじまり、宝飾文化がもっとも華やかだった19世紀ヨーロッパの作品など、真珠の島ならではの貴重なコレクションなのだそうです。
ブレスレットは裏側が時計になっています。
時計はNGな社交場でこっそりと時間を知るための知恵。
★地球儀
真珠と金とプラチナで作られたたゴージャスな地球儀はガガーリンも真っ青な白。(笑)
もっとも大きな真珠。 長径 19.22ミリ。
★ミキモトパールクラウン
★ミキモトパールクラウン ?世
■レストラン阿波幸
御木本幸吉の実家のうどん屋さんの名前からミキモト真珠島にあるレストランの名前になっているそうです。
★レストラン阿波幸から見た風景
真珠をはぐくむアコヤガイの身で食用とされるのは貝柱だけだそうです。
実際にアコヤ貝の貝柱で作ったお料理をいただきました。
ちょっとお酒が欲しくなる、珍味系。ホタテよりもコリコリと歯ごたえのある食感がなんともいえません。
海女さんの作業着スタイルのベア。
私は誕生石が真珠なので、ほかの宝石以上に真珠が大好きで真珠のものをたくさん持っています。
子供の頃は真珠が誕生石ってなんだか寂しかったのですが、大人になってから 真珠の魅力と真珠の美しさ がわかってきたのです。
この真珠のすべてがひとつひとつ手作業で核を埋め込み養殖された何万分の1の確立でできた貴重なものなのです。
より真珠が好きになりました。
ユーミンの「真珠のピアス」歌詞のシチュエーションに憧れて、ピアスを空けて、最初に買ったピアスは真珠のピアスでした。
ミキモト真珠島にはパワースポットもいくつかあるそうです。
ミキモト真珠島パワースポッチ詳細はこちら
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