己の中の女をはぐくむことについて
巳鈴 さん
一.女としての自分を意識して、自分の中の女の部分を磨いている、育んでいるという方いらっしゃいますか?
どのようなことを意識して、やっていますか?
常に「女性として・・・」と考えられているのですか?
二.また、女としてと考える必要はない、人間としてと考えればいいという考えの方もご意見お聞かせください。
私は「人として・・」とはよく考えてきたのですが、「女として」と考えたことは思い当たりません。女としてと考えて行動するという流れはあまりなかったと思います。
同性から「女性っぽさを感じない」と言われたことがあり、自分でも思っていましたが人から指摘されるのは気が沈みました。
心理占い、心理診断の類では「とても男らしい」や「男の中の男」などという結果が出てしまいます。
特に仲の良い友人で女性だということを特別意識して行動している人はいません。みな「人として」と考えるタイプです。内ふたりは結婚していますが、相手に惚れられて結婚しており、相手の好みに合わせて無理をすることはないようです。自分そのままで振舞っていて、嫌なことははっきり言うそうです。もちろん我がままということではありません。ふたりとも人に優しいので、惚れる男性が出てくるとは思っていました。
三.女性らしさというと何を思い浮かべますか?
私は、人に愛情を与えるということが浮かびます。
そして私が自分でも自身に女性らしさがあまりないと感じるのは、自分が余裕がなくて、「やれるもんなどない」という状態が続いているからなのかと思います。
まあ女性としてどころか、人間として貧しいのではないかと思います。
女性として意識して行動されている方は、自分の人間性は充実していて、その先にさらに豊かにしていくものとして女性として考えて行動するということがあるのでしょうか?
どのようなことを意識して、やっていますか?
常に「女性として・・・」と考えられているのですか?
二.また、女としてと考える必要はない、人間としてと考えればいいという考えの方もご意見お聞かせください。
私は「人として・・」とはよく考えてきたのですが、「女として」と考えたことは思い当たりません。女としてと考えて行動するという流れはあまりなかったと思います。
同性から「女性っぽさを感じない」と言われたことがあり、自分でも思っていましたが人から指摘されるのは気が沈みました。
心理占い、心理診断の類では「とても男らしい」や「男の中の男」などという結果が出てしまいます。
特に仲の良い友人で女性だということを特別意識して行動している人はいません。みな「人として」と考えるタイプです。内ふたりは結婚していますが、相手に惚れられて結婚しており、相手の好みに合わせて無理をすることはないようです。自分そのままで振舞っていて、嫌なことははっきり言うそうです。もちろん我がままということではありません。ふたりとも人に優しいので、惚れる男性が出てくるとは思っていました。
三.女性らしさというと何を思い浮かべますか?
私は、人に愛情を与えるということが浮かびます。
そして私が自分でも自身に女性らしさがあまりないと感じるのは、自分が余裕がなくて、「やれるもんなどない」という状態が続いているからなのかと思います。
まあ女性としてどころか、人間として貧しいのではないかと思います。
女性として意識して行動されている方は、自分の人間性は充実していて、その先にさらに豊かにしていくものとして女性として考えて行動するということがあるのでしょうか?
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2011/7/4 22:20
両性類みたいないい加減な性別ですが・・・
1. 自分の女の部分を育むこと…
私は、女性に温かく接したいと思っています。
女性同士なので、女性の良い面だけでなく、醜い面も見えてしまう機会があります。
例えば、嫉妬によるイヤミや嫌がらせを受けたり。
そういう人は恥ずかしいなと思うので、自分はできるだけそういう事をすまいと。
女同士だからこそ、仁義を大切にしたいなと。
むしろ、女同士だからこそ、女性を大切にしたいなと。
勿論、私の中にも自己満足や嫉妬など、醜い感情がないという訳ではありませんが、生きて、死ぬまでの間に、生まれた時よりは成長したいなという、いわば努力というか、志です。
女性を大切にすることが、自分を大切にすることと繋がるんじゃないか、という勝手な感覚があります。
2. 以前は「女である前に、人間だ」と思っていました。
いわゆる「女流文学」みたいなのが苦手でした。
男性作家は、題材がバラエティ豊かなのに、女性作家は、恋愛・子育て・女と仕事・母との確執・女の生き方…など、題材から「女性であること」を切り離せないものが多くて、なんとなく感情移入できませんでした。
自分自身も、わざと男っぽく振舞ってみたりした時期もあります。
でも、自分の女性性を過剰に否定しすぎるのもまた、「逆にいやらしくないか?」と思ったりもしました。
かえって歪んだ自己愛に満ちているというか。
本当は女性として扱ってほしい裏返しの欲望とか、或いは、自分は男性並みの才覚があるんだ、ちゃらちゃらしたバカな女の子とは違うんだとか…
女性性への蔑視と羨望が、自分の中にありはしまいかと。
今は、性別にあんまりこだわらないようにしたいと考えています。
一人の人間の人格には、女性性も男性性も、両方あるのが自然なんじゃないかなと。
女性の良いところ、男性の良いところ、両方の良いところを併せ持ち、必要な時にスッとそれを発揮できるようになりたいです。
逆に言うと、各々の悪いところの方は、できれば消してしまいたいですね(笑)
男らしい日と女らしい日と、両方あっていいんじゃないかなと思います。
まあ、都合の良い性格ですね(笑)両性類?笑
3. 聖母のような慈愛の側面と、決して自分を捨てられない自己愛の側面、ふたつです。
女性には、男性より慈愛の心があると思っています。
敗者を見て、見下すのは、男性に多く、女性では少ないような気がします。
私の経験では、女性の方が慈愛があると、独断と偏見で信じています。
でも、自己愛もまた、強い。
女性には、美容欲がある。綺麗でいたいと思う心がある。
具体的には、色白で華奢で永遠に若くて…みたいな感じの。
それって、自分を守らないとできないことばかり。
自己愛や保身的な心がないと、「綺麗」でいることは難しい。(生まれつき、どうやっても美人な羨ましい人もいますけれど。)
でも、社会の人は大体見た目でしか人間を見てなかったりする面もあるので、特に女性にとっては、ある程度見た目が良いことが必要になってくる。
見た目の悪い男性と、見た目の悪い女性では、女性の方がより多く損をするような、どうもそんな気が私はしています。複雑ですね。
やはり、実際問題、女性にはある程度の美容欲は必要じゃないかなと。
という感じで、特に結論もないまま終わります…(汗)
でも「卑下も自慢のうち」と言いますから、あんまり自己卑下したりせず、自然に生きたいなと思ってます。
良い所も悪い所も、両方認めて。
(補足)ボーヴォワールという女性哲学者を研究するのも良いかと思います。
『第二の性』とかの「女は、女に生まれるのではない。女になるのだ。」とかいう言葉が有名です。
女性は社会によって作られた性だ、という反発。
男性哲学者サルトルと、恋人関係契約を毎年更新するという付き合い方を決めて、「結婚」制度を選択しなかったとか。
近代社会で、人間の性別のうち「女性」とは何かというテーマに、良くも悪くも、真面目に向き合った人なんじゃないかなと。
私は哲学詳しくないので、よく分からないのですが。
1. 自分の女の部分を育むこと…
私は、女性に温かく接したいと思っています。
女性同士なので、女性の良い面だけでなく、醜い面も見えてしまう機会があります。
例えば、嫉妬によるイヤミや嫌がらせを受けたり。
そういう人は恥ずかしいなと思うので、自分はできるだけそういう事をすまいと。
女同士だからこそ、仁義を大切にしたいなと。
むしろ、女同士だからこそ、女性を大切にしたいなと。
勿論、私の中にも自己満足や嫉妬など、醜い感情がないという訳ではありませんが、生きて、死ぬまでの間に、生まれた時よりは成長したいなという、いわば努力というか、志です。
女性を大切にすることが、自分を大切にすることと繋がるんじゃないか、という勝手な感覚があります。
2. 以前は「女である前に、人間だ」と思っていました。
いわゆる「女流文学」みたいなのが苦手でした。
男性作家は、題材がバラエティ豊かなのに、女性作家は、恋愛・子育て・女と仕事・母との確執・女の生き方…など、題材から「女性であること」を切り離せないものが多くて、なんとなく感情移入できませんでした。
自分自身も、わざと男っぽく振舞ってみたりした時期もあります。
でも、自分の女性性を過剰に否定しすぎるのもまた、「逆にいやらしくないか?」と思ったりもしました。
かえって歪んだ自己愛に満ちているというか。
本当は女性として扱ってほしい裏返しの欲望とか、或いは、自分は男性並みの才覚があるんだ、ちゃらちゃらしたバカな女の子とは違うんだとか…
女性性への蔑視と羨望が、自分の中にありはしまいかと。
今は、性別にあんまりこだわらないようにしたいと考えています。
一人の人間の人格には、女性性も男性性も、両方あるのが自然なんじゃないかなと。
女性の良いところ、男性の良いところ、両方の良いところを併せ持ち、必要な時にスッとそれを発揮できるようになりたいです。
逆に言うと、各々の悪いところの方は、できれば消してしまいたいですね(笑)
男らしい日と女らしい日と、両方あっていいんじゃないかなと思います。
まあ、都合の良い性格ですね(笑)両性類?笑
3. 聖母のような慈愛の側面と、決して自分を捨てられない自己愛の側面、ふたつです。
女性には、男性より慈愛の心があると思っています。
敗者を見て、見下すのは、男性に多く、女性では少ないような気がします。
私の経験では、女性の方が慈愛があると、独断と偏見で信じています。
でも、自己愛もまた、強い。
女性には、美容欲がある。綺麗でいたいと思う心がある。
具体的には、色白で華奢で永遠に若くて…みたいな感じの。
それって、自分を守らないとできないことばかり。
自己愛や保身的な心がないと、「綺麗」でいることは難しい。(生まれつき、どうやっても美人な羨ましい人もいますけれど。)
でも、社会の人は大体見た目でしか人間を見てなかったりする面もあるので、特に女性にとっては、ある程度見た目が良いことが必要になってくる。
見た目の悪い男性と、見た目の悪い女性では、女性の方がより多く損をするような、どうもそんな気が私はしています。複雑ですね。
やはり、実際問題、女性にはある程度の美容欲は必要じゃないかなと。
という感じで、特に結論もないまま終わります…(汗)
でも「卑下も自慢のうち」と言いますから、あんまり自己卑下したりせず、自然に生きたいなと思ってます。
良い所も悪い所も、両方認めて。
(補足)ボーヴォワールという女性哲学者を研究するのも良いかと思います。
『第二の性』とかの「女は、女に生まれるのではない。女になるのだ。」とかいう言葉が有名です。
女性は社会によって作られた性だ、という反発。
男性哲学者サルトルと、恋人関係契約を毎年更新するという付き合い方を決めて、「結婚」制度を選択しなかったとか。
近代社会で、人間の性別のうち「女性」とは何かというテーマに、良くも悪くも、真面目に向き合った人なんじゃないかなと。
私は哲学詳しくないので、よく分からないのですが。
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