小林麻央さんのご冥福をお祈りします。
きっとまわりは心の準備ができているようで、
実はできていなかったようで。
まだ若いのに、
あんなに小さな子を残して、
可哀想だと思われたくはない。
そう語っていた、と。
可哀想なんかじゃない。
それは多分、同情されたくない、と言うことではない。
私が3歳の時、実父は急死した。
享年33歳。
同じく33歳で3人の子を抱え実母は未亡人になった。
私たち親子の人生は、あの日から変わった。
以前、実母が言っていた。
悲しんでる余裕なんてなかった。
目の前にあることをこなして生きるしかなかった。
もしあの時、子供たちがいなかったら。
どうやって生きて行ったらいいのかわからなかったと。
私には実父の記憶がない。
抱いてもらったことも、名前を呼んでもらった声も。
明確に思い出すことは、実父亡き後のことばかりだ。
それでも当時、幼い私の存在はまわりの悲しみを誘ったらしい。
こんなに小さいのに、この子はどうやって育っていくのだろうと。
なんて可哀想な。
あれから50年。
まさかダンナの50回忌が出来るとは思わなかった、と実母は笑った。
確かにそんな人、なかなかいないよね、と私たちも笑った。
母の笑顔は美しかった。
私は愛されて育った。
父親がいないことで、悔しいこと悲しいこと、忘れたくても忘れられないことは山の様にある。
それは、私だけではないだろう。
母も姉も、世の中にはきっとたくさんそういう人がいる。
でもその蓋をした思いを抱え、たくさんの深く大きな愛情で包まれて私は育った。
寂しくなかった、と言えば嘘になる。
ただ愛されていない、と思ったことはただの一度もない。
私はその愛情をまわりに返して生きている気がする。
母は自身の人生を、本当に幸せだと言う。
きっとそれは本当だろう。それは私も同じだからだ。
あの時哀れだった未亡人は、今や誰からも羨ましがられるほど幸せな老後を送っている。
そして父親のいない可哀想なはずだった3歳の子は、こんなに幸せに生きている。
確かに父は無念だったかもしれない。
が、可哀想とは思わない。
私が今、こうやって生きているのは、まぎれもない父がいたからだ。
私の大好きな自分の名前は、父がつけてくれた。
両親と苗字が変わっても、名前を書くとき、私は父を思う。
辛い時、悲しい時、何かを願う時、居ても立っても居られない時。
そして眠りにつく時。
私はずっと、父と共に生きている。
母は父の美しい手が好きだったと言っていた。
私の手は父に似ていると。
大人になった息子たちは、女性の私が見ても羨ましいほど美しい手をしている。

それは「今」の私の幸せである。
ただ本当にお気の毒なのは、麻央さんのご両親だ。
私の父方の祖父母は、父亡き後後を追うように病気で亡くなった。
我が子に先立たれる悲しみの深さを思うと、胸が痛くなる。
麻央さんもきっと、親不孝な自分を責めたに違いない。
ご両親もそれを痛いほどわかっている。
時間が解決しないことは、世の中に存在する。
海老蔵さんが、今前向きになれるのは、お子さんたちがいるからだ。
子どもの存在は親にとって大きい。
守ろうと、支えようと思いながら、実は自分が支えられている。
人生で大切なことは、「今」を生きることだ。
変えられない過去のこと。
わからない未来のこと。
それよりも、生きている今を。
いつまで生きるか、ではなく、どう生きるか。
親に、我が子に恥ずかしくない人生を。
美しく。
私は自分がこの世にいなくなった時、
息子たちに「可哀想だった」とは思われたくはない。
自分の母親は幸せに生きた、そして自分は母に愛されていた、と思って欲しい。
麻央さんのお子さんたちはきっと、そう思うはずだ。
それは私の理想である。
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