一年半前に突然、同居していた長姉夫婦に施設に移りたいと言い出した。
母なりの終活だと言うことは、性格を知る娘にはよくわかる。
散々世話になった義兄と長姉が納得したことに異論などなかった。
自分で見学し気に入ったサ高住に空きが出たのが昨年の1月。暖かくなる頃には移れるように荷物や家電を運ぶ予定だったのが、世界はパンデミックに陥った。
その後最初の緊急事態宣言下に、本人の希望で移り住み、半年以上軟禁状態の中で暮らしている。
なのに気楽に訪問はできず、娘として何ができるかを常に自問している。
私はコロナ禍での母の移住や世話を巡り、姉たちと上手にコミュニケーションが取れず、加えてそれぞれの家庭が抱える問題も同時に変化し、なかなか状況に対応するのに努力が必要だった。
娘である私たちも、母であり妻であり嫁であるからだ。
四人で旅行に行くほど仲の良かった私たちでさえ、小さなスマホの中の意思疎通で行き違い、加えて閉鎖的な日常が不満を余計に鬱積させる。
血縁という難儀な繋がりは、時として甘えや苛立ちを言葉にしてしまい、互いの心を毛羽立てる。
その背景には多分、
「私はこんなにやってるのに」
「大変なのはそっちだけじゃないのに」
昔から貴女はそうだった、とか。
歳を取ると老人は、とか。
だったら最初に言ってよ、とか。
…情けなくて泣けてきそう。
何年も姉夫婦任せにして来たのに、自分は言われることだけをして、仕事をしていることを「忙しい」と思いたがる自分にほとほと嫌気がして来る。
そして思う。
私は母に、何ができるのか。
老いた母の幸せとは。
日曜日、いつものスタジオで瞑想中、昔言われた母の言葉が浮かんだ。
「してあげたことは忘れなさい、そして、してもらったことは一生覚えていなさい」
若かりし頃、失恋して立ち直れずにいた私に、電話で「他人じゃないんだからいつでもおいで」と言ってくれた長姉。
私が急死した夢を見たと言って、突然泣きだした次姉。
そしてそんなきょうだいを作ってくれた母。
その日の夕方、NHKのドキュメンタリー「ジェイクとシャリース」を見た。
トランスジェンダーであることを公表した国民的スターが、地位と名声、そして美しい歌声を捨ててゼロから出発した。
今も母親から理解されない苦しさを抱え、偏見や興味本位の視線に晒されても、本当の自分であることに幸せを実感する姿。
彼はこう言った。
「シャリースだった時、ファンにあなたは私の神だとまで言われた。偽りの自分にそう言われることはとても辛かった」
そしてピアノを弾きながら「ありのままのお前を愛していると」歌った。
受け入れて欲しい、その歌声は切なく哀しかった。
少し前、好きだった「Dr.コトー診療所」の再放送を見たとき、五島先生が母親に電話をするシーンがあった。
宮本信子さんの声だけのシーンは、私の心に深く残っている。
「元気なの?」
「あなたが元気で、幸せならそれでいいの」
私が願う幸せを、息子たちが幸せだと思うとは限らない。
彼らがどんな人生を歩もうと、息子本人が幸せでなければ、意味がない。
子は親を安心させるために、自分に嘘をつくべきじゃない。
息子たちが幸せなら、私は幸せだ。
誰もが羨む美しい声で世界を魅了しながらもシャリースは何度も命を断とうと試みた。
たとえステージがどんなに小さくなろうと、ジェイクになった彼は、とても幸せそうに笑っている。
私は、私自身が幸せであることが、私が母にできる唯一無二の親孝行なのだと気づいた。
結んだチンムドラーを解いたとき、心の中の絡まったものが解けていく気がした。

娘として老い先短い母にできること。
母にしてもらったこと、姉たちにしてもらったことを常に胸に、感謝し、思い遣り、今できることを探して返していくこと。
母として、息子にできることはきっと何もない。
どんな人生を歩もうとも、彼らの幸せを願って、見守ることだけだ。
スタジオを出て、思った。
感謝しなきゃ。
私はずっと、回りから愛され、支えられて生きてきたことを。
☆夢二☆さん
人見知りのヨギーニ
BCJIJIさん