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重いけどビョーキと恥の話。

重いけどビョーキと恥の話。

最近になってやっと言えるようになった言葉がある。

「私の記憶は偽造されている可能性があります。ご注意ください。」

記憶がすっ飛ぶのでメモ必須な日々は以前から変わらない。

それでも周りからみると記憶力が戻りつつあるらしい。

それは良かった。

しかし

この歳で「私の記憶は揮発性メモリなので」的な

カミングアウトは結構つらい。

というわけで私が無意識に行っていたのが

記憶の偽造。

有ること無いこと覚えていることにしてしまう。

無いことを覚えるわけにはいかないので適当に自分でパッチを作って

記憶の穴をカバーしてしまうのだ。

以前から薄々気付いてはいたのだが

無意識にやっていたので

「まあ、さすがにこれくらい覚えているよね、自分。」

「ああ、勿論さ、自分。」

という感じで

そこまで記憶力落ちてないよアピールをしていたのだ。

無意識怖い。

しかも偽物の記憶で。

無意識本当に怖い。

偽物の記憶と本物の記憶の区別なんて付かない。

でもひょっとして私はそれ覚えてないんじゃないだろか?

え?私知ったかだった?

疑惑は疑惑を呼んだ。

そして恥も。

周りが話を合わせてくれていただけ?

嘘?噂?

・・・偽造?

まあ、こんな感じでしばらく私は

記憶を偽造することで人と会話が続くように努力していた。

学が無いことを隠すために知ったかぶりを続けた。

恥と嘘(偽造)は雪だるま式に大きくなって

日々は窮屈になり精神的に追い詰められた。

まあ、なんともご苦労なことで。

追い詰めたのは自分なのにね。

で、夜になると反省会(乖離して客観的に自分を眺める時間)。

反省内容によってはリストカット。

ある時

友人が「会話の先頭に自分が言いたいことを入れればいい。」と

言っていたのを思い出した。

つまり「これから愚痴るから慰めてね。」とか

「こういう理由で怒るから同意してね。」とか。

予め反応を決めておいてもらうと言っていた。

これはうまく恥をかかずに会話をする

手がかりになるのではないだろうか?

つまり予め自分の記憶が怪しい(ないどころか偽造している)ことを

相手に伝えておけば恥は最小限に抑えられるのでは?

自分は小さく、情けなく、頼りないものだということを

自分にも言い聞かせておけばいい。

昔の私は死んだのだ。

これを受け入れるのにも時間はかかった。

どれくらいかはそれこそわからない。

ただ、時間はかかったが

ある程度受け入れられる自分はここにいる。

自己嫌悪がひどくなったときの私に妹は言った。

「自分を心から愛せるのは自分しかいないんだよ。」

真か嘘かを問わず自分の存在を確証できるのは

自分しかいないないんだな、きっと。
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