シンプルなものが多い美白美容液のなかで、ひときわ存在感を放つHAKUのボトル。そのデザインの背景には、“資生堂の美学”が存在します。
ボトルの質感に選ばれたのは、ツヤを宿したパールホワイト。「過去に例のない質感だったため、何度も試作を重ねました。最終的に、ガラスを粉砕したガラスフレークを用いて、ようやく理想の質感に到達します」(唐川さん)
ボトルの白の質感は、美容液のリニューアルとともに進化し、現在発売中のメラノフォーカス3Dは、シルバーから白へのグラデーションで表現されています。
そして、らせんを描く特徴的なシルエットは、ニューヨークの“グッゲンハイム美術館”からインスパイアされたもの。発売から12年後の今もほとんど変わらず、HAKU
というブランドの象徴として存在感を放っています。
「資生堂の理念のひとつに“製品をしてすべてを語らしめよ”という言葉があります。中味はもちろんですが、デザインも大切な要素。これは初代社長・福原信三から続く資生堂の伝統です」(唐川さん)
「初代社長の福原信三は、幼い頃から芸術への関心が高く、パリで最新の芸術に触れ戦前の日本を代表する写真家でもありました」(大木さん)
企業活動におけるデザインの重要性を認識していた信三は、1916年に現在のデザイン部門にあたる“意匠部”を設立します。
(1920年頃の意匠部メンバー)
「意匠部には小村雪岱、矢部季など、新進気鋭の芸術家が集まり、ポスターや新聞広告、店舗のデザインなどを担当しました」(大木さん)。企業資料館には、意匠部が手がけた歴代のボトルやポスターが展示されています。
(企業資料館に展示されている過酸化水素クリーム)
上の写真は、1918年に誕生した“過酸化水素クリーム”。優美な曲線のアールヌーヴォー調シルエットが印象的です。
「意匠部はアール・ヌーヴォーやアール・デコ調のデザインを取り入れながら、のちに“資生堂スタイル”と呼ばれるモダンなスタイルを確立していきました」(大木さん)
(昭和初期に使われていた唐草文様の包装紙)
「資生堂を象徴する“花椿マーク”も、信三自らが描いた水彩画から生まれました。花椿マークは少しずつデザインを変え、1974年に現在の形となります」(大木さん)
(福原信三直筆の水彩画と、歴代の花椿マーク)