NISHANE / アニ 口コミ

どこまでも続く緑の平原。ホリゾントの青空。灼熱の太陽が露出した岩肌を熱し、四方から吹く風が入り乱れ、深い谷を渡ってゆく。

その台地の上に小さな三角屋根の建物が建っている。千年以上前に建てられた教会の遺構だ。あたりには、同様に朽ちかけた教会が草原の中、点々と見え隠れしている。ここはトルコ共和国にあるアニ遺跡。かつて東西交易で栄えた古代都市のあった地。

ニシャネのアニは、このアニ遺跡をテーマにした香水だ。

ニシャネは、2012年にブランディングされたトルコ共和国初の香水ブランド。薔薇とスパイスにあふれるイスタンブールは、昔から欧米人にとってオリエンタル香水のイメージそのものと言っても過言ではない地。そんな聖地で作られるラグジュアリーな香水が世界50カ国で人気となっているメゾン。

ブランドは、アニという香水について次のような紹介文を添えている。

「シルクロードの重要な交易都市として栄え、多くの国に征服され、やがて打ち捨てられた古代都市アニ。荒廃する教会と城壁を吹き抜ける風。たとえこのまま遺跡が朽ち果てようと、あなたに築かれる香りの帝国」

何という美しく胸に沁みる文章だろう。この紹介を読んで、どうしてもこの香りを嗅ぎたくなった。

Ｓ字型の金キャップを外してアニをスプレーする。

アニのトップは、爽やかで透明な風で始まる。それは西のローマから吹くベルガモットの風だ。穏やかな酸味とコクが太陽を思わせる。すぐに感じられるのは涼しげな清涼感ある風。それはカルダモンのクールスパイシー。カルダモンはインド原産だ。これはスパイシーな東寄りの風。開幕から東西の風が吹く。

5分もすると、透明さの中に酸味と温かいスパイスと甘さが感じられてくる。酸味はピンクペッパー、温かみはジンジャーの香り、そこにバルサミックな甘さがじんわりと広がってくる。このちょっと切ない甘さはベンゾイン（安息香）だ。ちょっとカラメル様のダークな甘さで、ヴァニラよりダークラムに近い感じがある。このあたりがミドルだろう。

トップから続くカルダモンのスッと抜ける冷たい清涼感は、深い谷を渡ってゆく風だ。それに対し、ミドルで感じられるジンジャーの温かみ、ピンクペッパーの辛みや酸味は大地を焦がす灼熱の太陽を思わせる。そこに広がる洋酒のようなコクと甘さを備えたベンゾインの香りは、酒と人々の語らい、つまりこの地で紡がれてきた人々の営みを表現しているかのよう。

このスパイシー＆バルサミックなミドルがゆっくり１時間ほど続くと、意外にも香りはしっかりラストに変化する。ラストは淡くクリーミーなヴァニラが静かに出現して驚く。これはトルコで伝統的に作られてきたドンドゥルマ、つまりトルコアイスの香りを彷彿させる。ドンドゥルマは、羊乳と砂糖にトルコ山岳部で採れるサーレップという植物の根塊を粉砕した粉を混ぜて粘度を上げた氷菓。気温が高いトルコならではの、アイスが溶けないようにした工夫だという。

ラストは、そんなクリーミーヴァニラの香りにほんのりと乾いたウッディが寄り添って終息する。香ばしいサンダルウッドか、涼しげなシダー香が感じられるときがあって面白い。持続時間はラストのヴァニラになってからが一番長く、ラストだけでゆうに６〜７時間は香り続ける。さすがパルファムを超える30％以上のエキストレ濃度だ。調香は2015年にジャックファットの香水を復活させたセシル・ザロキアン。ミドルにフローラルをほぼ見せずにこんな複雑な変化を見せるのは、なかなか凄腕だと思う。

今から千年ほど前、アニはアルメニア王国の首都として東西交易の要所となり、繁栄を築いた。一方で、世界で初めてキリスト教を国教化した国とも言われている。そのため、この地には1000を越えるおびただしい数の教会が建てられた。しかし、地中海、黒海、エーゲ海に面し、東西南北の文化が通る要所であったアニは、その地理的要因からさまざまな勢力の侵略を受け続け、やがて荒れ果てた。盗掘も止まらず、美しく荘厳だった教会群は、長年の風雪の中、残骸のような姿のみをさらすこととなった。緑の続く台地に、静かに埋もれるように。

ニシャネのアニはそんなアニ遺跡を思って作られた香水だ。繁栄の後にキリスト教やイスラム教のさまざまな風に翻弄され、朽ち果てた墓標のように立つ教会や城壁の姿。千年前と変わらぬ空と緑の台地。それらは一炊の夢のようだと。それでも神話は終わらない。本当の歴史は「あなたの裡」にこそ紡がれていくのだと。

過去と今、東と西をつなぐアニの道の上で、ただ静かに風に吹かれるとき、古代都市アニは人々の心の裡に再びよみがえるのだろう。そこに築かれるあなたの香りの帝国。

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