晃祐堂は書道筆技術を生かし、化粧筆事業に参入します。「書道筆メーカーが何をやってるんだ、と非難を受けたこともありました」と土屋社長。「でも、創業者である会長の決断は、将来をしっかりと見据えたうえで間違っていなかったと思いますよ」。
中国からの安価な書道筆が輸入され、市場に出回り高額な熊野筆の需要が激変したのもちょうどこの頃。また、少子化と学校教育の在り方が変わり、書道人口が少なくなったこともひとつだったとか。
「これを機に、化粧筆製造と書道筆製造のふたつの道を歩むことを決心したのは、晃祐堂だけでなく、熊野筆の未来を考えての決断だった」(土屋社長)。できることは何でもする、という意思が多くの人たちの心を動かすことになったのも事実。
そのひとつがデザイン性のある化粧ブラシの開発でした。「会長が“メイクをするときはワクワクした気持ちがなければならない。ならば、ブラシもかわいくなきゃいけないだろう”とハート型ブラシのデザインを思いついたのです」。
コスメの開発やデザインは通常、“使い手”である女性の意見が反映されることが多い。ましてはハート型のデザインなんて、女性でなければ思いつかないと思っていたのだが…ハートブラシを考案したのは男性!しかも会長だったとは!
「晃祐堂の化粧筆の始まりはメイクブラシのほかに、洗顔ブラシがありました。洗顔料を泡立てるブラシ。皆さんも経験があると思いますが、朝の忙しいときに泡立てる工程って、結構、めんどくさいんですよね」(土屋社長)。
この洗顔ブラシがハート型ブラシのヒントになる。
「会長がこの洗顔ブラシを見ながら、“先端が丸いのではなく、ハート型だったらかわいいだろう”と言い出したんです。ハートのブラシで洗顔をすれば朝からハッピーな気持ちになれるだろう、と。若い女の子だったらまだしも、いいおやじが何を言ってるんだ、ってなりますよね(笑)。でも、ハート型って見た目だけでなく、使い勝手が良いことに気づいたんです」(土屋社長)。
ハートの型を形成し、ハートブラシをつくって使ってみると、ハートの凹み部分が目尻や小鼻にピタッと収まることが判明。とくに小鼻の脇の汚れを絡みとってくれるという嬉しいメリットも!「見た目はもちろん、小回りのきく実用性のあるブラシだということがわかったため、イケると思いましたね」。ハート型ブラシの特長といえば、やはりこの形。「熊野筆は毛先の先端は切らない手法なので、根元の形成が重要になる。金型づくりは本当に苦労しました」(土屋社長)。
工夫したのは見た目だけではなかった。熊野筆の機能性にもこだわった。「ブラシの濃密さ。1本の筆で2本分の毛量があり、洗顔時の泡立ちが大変良く、きめ細かなクリーミーな泡で顔を洗うことができます」。他にも、ハート部分の凹み加減、グラデーション加減など、改良点が挙がると作り直すという毎日。
中でも、洗顔ブラシは水を使用するため、耐久性のテストは何度もおこなったという。「水を使うとどうしても筆の痛みが早くなります。耐久性を高めるため、何か手はないかと考えたところ、ヤギの毛にナイロン製の毛を混ぜた混毛仕様に切り替えることを思いついたのです」。そうしてハート型ブラシが完成したのです。
化粧筆の新しいチャレンジでしたが、内心は期待半分、不安半分。いざ、発表してもあまり良い反応は得られなかったそう。「ハート型ブラシを“お尻ブラシ”“桃ブラシ”などと揶揄されることが多かったですね」と土屋社長。「その当時、筆の日に各メーカーの新作を発表する新作会というものがあったのですが、まわりからの本当に売れるのだろうか、という心配の声が挙がっていた」という。
「会長はまわりの声を気にすることなく発売しましたが、月間5〜10本売れれば御の字というありさま」。のちの大ヒット商品もこんな時代があったのですね。
鳴かず飛ばずのハートブラシのV字逆転のきっかけになったのは、意外なところへの飛び込み営業でした。土屋社長は当時を振り返り、「本当にラッキーだった」と言います。
それはブライダル・ギフト市場への参入。「結婚式のギフトカタログに目をつけたんです。幸せの象徴であるハートの形はきっと支持される、と。飛び込みで営業に行ったのですが、話を聞いてくださった方が“やってみましょう”と取り引きを許可してくださいました」。予想は的中。カタログに掲載し始めると、受注の連絡がすぐに入ったという。