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般的な江戸時代の美人のイメージは、瓜実顔+切れ長の目+小さい口といったところでしょうか。当時のいろんな文献を紐解くと「色の白きを第一にする」ともあります。つまり、“色白”が美人の絶対条件だったんですね。色が白いと若く見られ、いつでも娘の肌のようでいられたと思われていたようです。白肌は美人の絶対条件だったけれども、それ以外のパーツに関しては、輪郭や個性を活かしてメイクしましょう、と文化10年(1813)に出された『都風俗化粧伝』にはうたわれています。今でこそ個性を生かしたメイクは当たり前ですが、実は当時から「その人の顔に合わせるべし」と必ず本に書かれてあるほど、パーソナルなメイク法が主流だったようです。
また、当時は身分・階級や既婚・未婚によってメイクの決めごとがありました。庶民はお正月や結婚式といったハレの日にだけちゃんとお化粧して、普段はあまりしなかったようですね。一方で遊女は仕事柄、毎日昼間から身仕度してお化粧します。そして江戸の吉原では、人気の高い遊女になると「お歯黒」をする習慣がありました。「お歯黒」は既婚女性の印。
つまり一人前の大人の女性であるという証明みたいなもの。人気の高い遊女も一人前の女性として扱われていたんですね。 |