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Nippon Beauty 再発見 全10回 美容文化研究室 @cosmeとPOLAが美容のルーツに迫ります!
第7回 「本当の美しさって何だろう?」 〜最高級のエレガンスを目指す女性たち〜
いつの時代も女性は「美しさ」を求めています。しかし、時代によりその求められていた美しさもさまざま。江戸時代から現在にいたるまでの女性美を紐ときながら、その時代に求められていた「エレガンス」を紹介します。
美容の歴史について教えてくれるのは・・・ 日本の美容文化エキスパート ポーラ文化研究所 主任研究員 村田孝子先生 【写真】村田孝子先生
主に日本と西洋の化粧史・結髪史を研究。
セミナー講演、展覧会、著作などで成果を発表。

「ポーラ文化研究所」詳しくはコチラ
「美貌」と「教養」で最高のエレガンスを競う
江 戸時代の女性の美しさを代表するのは、土屋アンナさんが出演して映画になった『花魁』ではなかったかと思われます。
花魁と言えば遊女3,000人もいたと言われる中で、わずか数人だけがなれるという当時のトップアイドル。ヘアスタイルや着物はゴージャスで、その磨き上げられた美しさや華やかさは最高級。

しかし、彼女たちはただキレイなだけではなく、高い教養を身につけていたと言います。和歌、お香、お茶、お華、三味線、お琴、書道などは当たり前。地方から大名が来ても十分相手ができるインテリジェンスとホスピタリティがあったのです。

とくに、江戸時代前期は、多くが武家出身のお嬢様だったからだとも言われています。父親が戦いで敗れて、生活が成り立たなくなってしまったから仕方なく身売りされたのですね。いくら遊女になったとは言え、良家の娘ですから、そこはかとなく教養がにじみでてくるわけです。

有名なところでは、仙台候に身請けされた「高尾」という遊女。身請けの時、自分の体重だけ千両箱を積まれたというすごいエピソードが残っているんですよ!
【イラスト】豪華な着物! 教養を磨くことで、自分の人生を切り開いたのね★  花魁たちの磨かれた教養と、化粧することで美しさをさらにアップさせた彼女たちの存在は、当時の女性の憧れの的となっていたのかもしれないですね。
【写真】新吉原江戸町・玉屋内朝妻 歌川豊国 文政10年、木曾街道六十九次之内 上尾 三浦の高尾 一勇斎国芳
日本女性の美やエレガンスは時代とともに変化している!
【写真】女性の進出が目立ち始めた明治時代。女性たちの外見も変わり始めました。
江 戸中期以降は日本女性が最も成熟した時代だったとも言えます。歌麿が浮世絵に描いた女性たちは、豪華でしゃれた着物やヘアスタイルで自分の美しさを、思い切りアピールしています。

時代が変わり、明治の末になると、深窓の令嬢を撮り集めた写真集「日本美人帖」が出ました。華族やお金持ちのお嬢様が、いかにもぎこちなく映っています。それは今まで写真や絵葉書などを飾っていた芸者たちの「女性美」とは、まったく違うものでした。

この写真集は、ある意味一般の女性たちの意識を変えたと思いますね。世の女性たちにとって「これが優雅さ、上品さなんだわ!」と目で見て、認識した最初だったのではないでしょうか。

江戸から明治へ、着物から洋装へと時代によって女性美も変化していきます。江戸の浮世絵や川柳や化粧本など、実はすべて男性によって創られたもの。つまり、男性の目から見た「女性美」を書いたり、描いたりしていたわけですね。
【写真】「日本美人帖」明治41年
と ころが明治になると、女性が社会に出始めてきます。

この時期、遠藤波津子という女性が日本で初めて美顔術(エステティック)を始めました。美顔術を日本の一般女性を対象に営業した最初の女性です。

ここで初めて女性たちは化粧の近代化と、自分の肌の色を自覚したと思います。そういった意味で、彼女の登場は、それまで男性が作った封建的な社会の視点を大きく変えるきっかけになったと思いますね。

エレガンスの認識もそれまでの内に秘めたような、隠したり控え目なものから、もっと外見を積極的に磨いたり、キレイになるというポジティブな姿勢に変わっていきました。

それは、まさしく『現代エレガンス』の始まりと言ってもいいかもしれません。
【イラスト】女性の社会進出の影響って、スゴイ!