白は七難隠す」という言葉があるように、日本では白い肌というのは美人の条件だったんです。現在では、シミを薄くしたり肌の色を白く見せるケアを美白と言いますが、実は古来からその概念は存在していたんですよ。その手段として、白粉(おしろい)を使って白く見せる手法がポピュラーでした。
では、白粉の由来はいつ? と言うと、ニッポンの女帝・持統天皇の頃ではないかと思われる記述が日本書紀にあるんですね。何でも、お坊さんの観成(かんじょう)という人が、中国の書物を見て鉛白(なまりおしろい)を作って献上したというんです。好奇心旺盛だったのでしょう、持統天皇は「あら、素敵! 」と大喜びし、そのお坊さんにたくさんのご褒美をあげたとか(笑)。無理もないでしょうね。当時中国というのはヨーロッパの玄関。ヨーロッパの流行が中国に渡り、遠路はるばるこのニッポンの自分の手元に届いたのだから、持統天皇の感激も相当なものだったに違いありません。まさに、ここから日本の「美白(白粉)」がスタートしたんですね。
中国西安の壁画などを見ると、女性の顔は白く描かれています。当時、日本の特権階級にとって中国は憧れの的。このような絵や書物を見たり聞いたりして、“白い肌がトレンドで高貴”という意識が上流階級の中で広まっていったのでしょう。室町時代の絵巻物を見ても公家や武家の顔は白く、庶民との身分の差がはっきり分かります。 |
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