美容文化研究室 - アットコスメ(@cosme)

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Nippon Beauty 再発見 全10回 美容文化研究室 @cosmeとPOLAが美容のルーツに迫ります!
第1回 「江戸時代にもあった!ベストコスメ!?」
江戸時代の女性たちが愛用したコスメや美容雑誌といわれる当時の記録を通して、「きれいになりたい」という日本女性の美容意識の高さに注目してみましょう。まずは、江戸の美容事情についてレクチャーします。
美容の歴史について教えてくれるのは・・・ 日本の美容文化エキスパート ポーラ文化研究所 主任研究員 村田孝子先生 【写真】村田孝子先生
主に日本と西洋の化粧史・結髪史を研究。
セミナー講演、展覧会、著作などで成果を発表。

「ポーラ文化研究所」詳しくはコチラ
美容が花開いた江戸時代
今 から約400年前、日本は江戸時代を迎えていました。とくに、江戸中期から後期にかけて、飲食店や小売店といった商売が繁盛して、毎日を楽しむ庶民文化が発達していきました。
なかでも「メイク」は、さまざまな身分の人に浸透し、身分の高い人たちだけではなく、庶民も楽しむようになっていきます。当時、庶民にこれだけメイクが浸透していたことは、同じ時代の西洋の国々から見ると大変めずらしいことだったんですよ。日本人の美容に対する意識の高さは、ここから始まったのかもしれませんね。
【写真】都風俗化粧伝
【イラスト】この時代にも口紅の塗り方の“How To”があったのね! 江戸時代後期に発売された『都風俗化粧伝』という書物があるのですが、この中では、顔のタイプ別に口紅の塗り方があったり、ヘアスタイルの見本も今の雑誌に負けないくらいたくさん掲載されています。そのクオリティーの高さから、江戸時代後期に発行してから大正時代まで何版も増刷された大変人気の高い読み物でした。
当時の女性はこうした書物を見ながら、より美しくなれるよう積極的に研究していたんですね。
江戸時代にも存在したベストコスメ
【写真】「都風俗化粧伝」「容顔美艶考」 現 代と同じように、江戸時代にもコスメが販売されていました。化粧水については、特に人気の高いベストコスメがあったことが分かっています。「花の露」という化粧水は、ロングセラー商品! なんと江戸前期から明治時代まで販売されていたんですよ。その人気は、江戸後期の美容雑誌に、類似品の作り方が紹介されるほど。美しくなるためには、手間を惜しまない江戸の女性像が想像できませんか?
それから、多くの人がこの化粧水を使うきっかけとなったのが、風呂屋など、人の集まるところに張り出される絵がありました。今でいうとポスターといったところ。美人が描かれているもので、その絵の中に商品を描き入れて、宣伝していたんです。
他には、滑稽本『浮世風呂』で有名な式亭三馬が販売していた、ガラス瓶入り「江戸の水」や、今でもお馴染みのヘチマの水で作られた化粧水「美人水(びじんすい)」などが人気がありました。

ここで気になるのは、メディアの数が少ない時代にベストコスメがあったその理由。当時の美容雑誌のひとつ、『都風俗化粧伝』を見てみると、その中で「花の露」の使用感を「顔の腫物(できもの)が癒やされて、白粉(おしろい)のノリがキレイ」と紹介。今でいうクチコミが残っているんですよ。「きれいになりたい」と願う美容意識の高い江戸時代の女性たちが、美容雑誌や広告のコスメ情報をチェックして、ベストコスメが誕生したんですね。
【イラスト】日本って、江戸時代からメイクに関心が高かったんだ。
〔参考文献〕 『容顔美艶考』、『好色一代男』、『江戸の化粧品小間物店其他』
Beauty Column 選ばれし江戸美人100人の姿
江戸時代にも、今でいえば「ミスコン」のような、選ばれし美人女性の存在がありました。それが、江戸後期に発行された『江戸名所百人美女』に描かれている女性たちです。枚数が100枚にも及ぶ、いわゆる美人画集で、もともとは当時の旅行ブームや風景画の流行をきっかけに作られたものと考えられています。 描かれている女性は、吉原のおいらんや、水茶屋(喫茶店)の娘など、江戸で美人と評判のさまざまな階級の女性たち100人。面長な顔立ちで艶やかに描かれた姿が印象的ですが、家柄によってメイクや髪型、着物の着こなしが異なるのも面白く、男性のみならず同性の女性からも高い人気を受けていました。江戸の女性たちは、彼女たちをいわばファッションモデルのように見立ててその装いや髪型、メイクの流行を勉強していたようです。

〔参考文献〕
特別展:歌川国貞 幻のコレクション -「浄瑠璃づくし」と「百人美女」 (北海道立帯広美術館)
【イラスト】江戸名所百人美女