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戸時代の象徴的な化粧道具と言えば、“おしろい三段重”があります。これは、一番下の最も深い器に水を入れ、おしろいを溶いて使っていたんですよ。
江戸時代の女性は、“どうやって白く見せるか”が美の秘訣だったので、おしろいを首や襟足にまで塗って、少しでも色白くて若く見せようと努力していたんです。
そして、当時のメイクの中でアクセントと言ったら紅でした。携帯用の象牙製の紅入れを着物の帯の中に入れておいて、外出した時にササッと薬指でつけたりしていたんですよ。その他には、化粧道具キットがあり、刷毛やおしろいや筆などがセットされています。今見ても、おしゃれですよね!
このような化粧道具を見ても、当時の女性たちの“装う楽しみ”が伝わってくるようです。
江戸時代の女性は、結婚すると鉄漿(おはぐろ)にしたり、子どもを産むと眉を剃ったりという習慣がありました。それが一人前の女性になった印でもあったのです。
髪型は、時代や地域、身分、職業によってスタイルが違いました。江戸前期の未婚の女性は島田髷(まげ)、既婚の女性は丸髷、島原の遊女などはボリュームのある派手な横兵庫髷、同じ髷でも、江戸の吉原はシンプル、そして御殿女中は髱(たぼ)が、ぺったんこの髪型だったんですよ。
た、鳥かごや、小さな蝶で装飾された“びらびらかんざし”、高級なべっ甲製の髪飾りなどをつけてヘアスタイルも思いきり楽しんでいました。なんと京都の島原では、髪飾りだけで6kgの重さがあった、というおしゃれな遊女もいたそうです。
そして、当時の女性たちは“若々しく”、黒髪をより美しく見せるために、びん付け油を使って“ツヤ”を出し、すき毛を入れて髪を結って“ハリ”を出していたんですよ。
今の感覚とはちょっと違いますが、当時の女性って、ツヤのある黒髪、鉄漿をした黒い歯、紅の赤のコントラストが、ろうそくの灯りに照らされると、とても美しく幻想的な感じで見えていたのだと思います。そのためには、もともとの肌をキレイにしなきゃという意識もあったようです。
このようにメイク法や髪型でよりキレイに、より若く見せるためにいろんな工夫をしていたのだということが分かります。
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